ムネオ日記
<<  2005年12月  >>  | TOPへ
2005年12月31日(土)

鈴 木 宗 男

 平成17年(2005年)が過ぎようとしている。秋田県の泥湯温泉硫化水素ガス事故で重体の父親も死亡という最悪の事態になった。楽しい筈の年末休暇の家族旅行がなんという巡り合わせか。どの新聞にも仲の良い家族だったと松井さんを知る人は語っているが最後まで仲の良い姿を示し、家族4人一緒に旅立ったことが新たな涙を誘う。世の中、時に理不尽なことが起きるものである。心からご冥福を祈るものである。
 今年もいろいろなことがあったが私にとって1番の出来事は衆議院解散、総選挙である。思いもかけない8月8日の解散であった。新党を立ち上げて選挙に出ることは既定の流れであったが、小選挙区か比例区、どちらを選択するか一瞬の迷いはあったが後の無い人生をかけた闘いであるのでベターよりもベスト、より確実な判断をした。8月18日新党「大地」を立ち上げ23日候補者発表、30日公示、9月11日投票日。わずか3週間の選挙戦だったが43万3938票の貴重な得票を戴き、1年10ヶ月ぶりに国政に復帰することが出来た。松山千春さんが命名してくれた「大地」効果、松山さんの体を張った応援も大きな力だった。そして全道各地に昨年の選挙で出来た人間関係、ネットワーク全てうまく機能した。事務所スタッフの頑張りも心強かった。多原香里、田中いづみ、秋元正博各候補も大きな戦力になった。又、家族の応援は当然であるがそんな中で、家内子供たち3人家族の結束ぶりが大きなうねりになっていった。特に娘の存在はメディアにも再三取り上げられ、私のイメージを変える程の力になった。今回の選挙を通じ新たな感動、人の持つ優しさ、慈しみ、思いやり、愛情を私は受けた。心ある多くの人に感謝の気持ちで一杯である。
 私は受けた恩を忘れず、天国と地獄を見てきた者として世の中、この年末に挫折を味わい苦しんでいる人もいるだろう。失望して悩んでいる人もいることだろう。そんな人達に私は敗者復活したものとして少しでも勇気や誇りを与えていきたい。私の頑張りが苦しみや悩みを抱えている人に「鈴木を見ろ、鈴木は人一倍信念を持って生きている。俺たちも頑張ろう」そんな気持ちにさせるよう、私は額に汗していきたい。
 一昨年の年末は胃ガン手術後の療養だった。昨年の年末は参議院選挙に惜敗し、次は何時選挙があるのか展望の無い中での年越しだった。今年の年末はお陰さまで所期の目的を達成して新年を迎えることが出来た。万感の思いで私を支え、応援してくれた心ある皆さんに心から心から感謝して今年締めくくりのムネオ日記とする。
 どうぞ皆さん良いお年をお迎えください。来年も宜しくお願い致します。

2005年12月30日(金)

鈴 木 宗 男

 1日家で過ごす。私の出ているテレビが3本あり見ることが出来た。収録番組は編集されるので、必ずしも私の発言が全て使われるものでなく、つぎはぎ的になることもある。そういった意味でも生出演のほうが正確に意思が伝わると今日のテレビを見ながら感じた。
 秋田の温泉で母子3人死亡、父重体という悲しいニュースに驚く、硫化水素ガス中毒と見られているが、楽しいはずの家族旅行が、自然によって思いもかけぬ結果となり何という巡り合わせか。もう少しで新年を迎えるときに41歳の母、8歳、6歳の子供が亡くなり、47歳の父が重体、心からご冥福とご回復を祈りたい。
 産経新聞1面下の産経抄に教えられる又、同感の記事があるので紹介したい。「確かに美しいと思える日本人には滅多にお目にかからなくなった。不正をしても儲けたい、自分さえよければ他人はどうでもいいというような人間が増殖し続けている。部下の領事館員が中国の公安当局によって自殺に追い込まれても事実を隠し、抗議ひとつしなかった腰抜け大臣が反省もせず、参院議員として今も高禄をはんでいる政治の現状は何とも醜い」と。これを読んで当時の川口順子外相は何と答えるか。週刊誌の取材にも答えておられなかったが、事件当時の外務省の最高責任者として国民に説明責任を果たすべきでないか。命をなくした人のためにも、外務省の名誉の為にも情報の開示、情報の透明性を国民に知らせて欲しいものである。今国民から選ばれた立場についている川口順子参議院議員であり、尚更説明する義務が有るのではないか。
 この件に関して今日も私のところに色々な情報が寄せられた。

2005年12月29日(木)

鈴 木 宗 男

 朝から北海道新聞帯広支社、十勝毎日新聞社に年末の挨拶。帯広事務所に寄り、打ち合わせ。十勝管内大樹町に向かい、大樹神社の小島宮司さんが亡くなったので弔問。立場があるにも関わらずいつもご配慮を戴いた方なので、ただただ感謝の気持ちで手を合わせる。
 13時の飛行機で上京。2,3日前の大渋滞とはうってかわり、東京は車も少なく、年末休暇のおもむきである。
 上海総領事館員の自殺問題を各紙が報じているが、外務省は何故国民に事実関係を明らかにしなかったのか。中国にものを言う前に、国民に説明責任を果たすべきではないか。昨年5月6日に亡くなってから1年半後に外務省がその事実を認めるのも不思議だし、12月27日アジア太平洋州局長が中国側に電話で抗議したと書かれているが、1年半後に表沙汰になって慌てふためくやり方は、まさに外務省の隠蔽体質を露呈したものである。昨年5月当時の川口外相、竹内事務次官、北島官房長、北京の日本大使館の原田次席公使(こういう問題で大使は表に出ない)は、どんな対応をしたのか国民に明らかにすべきである。
 大きな悩みを抱えていながら、誰にも相談もできず自ら死を選んだ電信官を思うと、気の毒でならない。電信官は北海道出身であり、私の隣町の高校を出ている方で、とても他人事とは思えない話である。この件でも外務省の実態、闇の部分が明らかになった。もっと国民の目線に立ってほしいと切に願うものである。
 この件に関し、私の方にも外務省の中から種々な話がきているし、この件だけではなく外務省の構造的な問題についての話も寄せられて来ている。私なりに国民への情報開示、情報の透明性の確保の観点からも、しっかり正していきたい。
 夜は事務所忘年会。いつも苦労を共にしている秘書、ボランティアで事務所の手伝いをしてくれる仲間と今年1年を振り返りながら、英気を養う。仲間の頑張りに心から感謝するものである。

2005年12月28日(水)

鈴 木 宗 男

 7時55分羽田発で釧路へ。11時から釧路事務所の年末大祓(おおはらい)。小船井会長はじめ、後援会の幹部役員が大勢集まって下さる。一年間のご加護に心から感謝し、手を合わせる。
 12時から仲野博子代議士、伊東釧路市長、藤原根室市長との北海道新聞の座談会に出席。約2時間半、地域の抱える政治・経済問題、新年の抱負を話す。
 夕方帯広に向かい、十勝軽種馬農業協同組合の理事会に出席。私が組合長であり、年末の理事会だけでも出席しなければと思い、責任が果たせて良かった。
 18時から後援会会合2カ所。20時から地元記者との懇談会。今日も一日有効に時間を使うことができた。
 27日に公表された国勢調査結果によると、議員1人当たりの1票の格差が2倍以上ある選挙区が、衆議院で48選挙区にのぼると公表された。「衆議院の区割り見直しは2010年以降先送り公算(読売4面)」と書かれているが、憲法違反とも言われるこの問題は、国勢調査の数字が出た以上、速やかに見直しをすべきである。ちょうど選挙も終わったばかりであり、タイミング的にも良いのではないか。与野党の垣根を越えて、国民の負託に応えるべきと考えるのだが。

2005年12月27日(火)

鈴 木 宗 男

 朝から議員会館で仕事。雑誌2社のインタビュー。午後から都内挨拶廻り。年末にも関わらず、なんとなく「活気」が感じられないのはどうしたことか。(あきら)めの境地でいるのだろうか。
 勤勉を(むね)とする日本人がやる気をなくした時、この国はどうなるのかと考えると、格差の拡がる弱肉強食の政治に明日はない。一握りの勝ち組だけで日本が保たれるのではない。額に汗して働く大多数の人によってこの国があることを、政治家等しく考えていくべきである。改めて私は弱い人の立場を忘れずやっていこうと決意する。
 21時から23時まで、TBSテレビ「みのもんたvs国会議員 ずばっとコロシアム」に出演。生放送なので出過ぎないように、控えめにと自分に言い聞かせながらの2時間だった。みのさんの絶妙の進行であっという間に終わったが、20人の国会議員がでていると発言にも限りがあり、消化不良の感であるが仕方ない。
 放送後の打ち上げで、みのさんは私のことをとりあげて挨拶してくれた。平成16年1月3日「サタデーずばッと!」家内と一緒に出たこと、今年の8月19日朝、新党大地を立ち上げた後の襟裳岬からの生中継。その時その時の私の動き、発言を皆さんに紹介して戴く。松山千春さんの友情についても熱く語って戴き、感激した。人間関係の重さを知らされた思いで、嬉しかった。
 羽越線列車事故で、更に死者が増える。犠牲になられた方とご遺族の皆様に心から哀悼の意を表すると共に、自然の脅威、力を思い知る。市場原理、採算性重視の経営で良いのか、JR福知山線の事故の教訓は生かされたのか考えなくてはならない。不幸な、悲しい出来事に、心を痛めるものである。

2005年12月26日(月)

鈴 木 宗 男

 札幌事務所で打ち合わせをすませ、11時の千歳発で上京。
 議員会館に入り、お客さん対応。各役所の方が年末の挨拶に来て下さる。予算も終わり、今年も残すところ5日となり、年の瀬を感じる。
 14時過ぎ、瀬島龍三先生に面会。先日同台経済懇話会で講演させて戴いた報告のご挨拶。瀬島先生から「出席者は感銘を受けていました」と言われ、恐縮する。また「日本人の魂を持って政治をやっている政治家がいない。鈴木さんは新党を立ち上げ、魂を持っているから頑張りなさい」と励ましを戴く。人生の大先輩、歴史を刻んで来た人からの言葉を重く受けとめ、頑張っていきたい。
 スマトラ沖地震大津波から1年、東京のスリランカ大使館に行き、今年の初めから1年かけて後援会関係者からよせられた募金を届ける。200万8707円だが、金額よりも私の後援者、関係者の優しさ、思いやりをわかって戴けたら幸いである。
 ランジット・ウヤンゴダ大使は大変喜んで下さり「早速本国に善意をお伝えしたい」と言われた。北海道の後援会、新党大地の関係者に、私からも報告を兼ねてお礼申し上げたい。

2005年12月25日(日)

鈴 木 宗 男

 8時半丘珠空港発で中標津空港へ。根室市に行き、10時半から地元記者との懇談会。12時から根室市後援会役員会。18年度予算政府原案が決定されたが開発予算の大幅削減、失業率が一番高く自殺者も全国一多い北海道で与党幹事長がおりながら政治がない現況を説明する。又、11月の日露首脳会談の失敗、何故このような結果になったか、外交の専門家たるロシア担当外務官僚の基礎体力の低下、ロシアとの信頼関係の欠如、ロシアの度重なるシグナルに応えてこなかった事等、昨年から今年にかけての数々の出来事を時系列に基づき話す。領土問題では空想的解決よりも現実的解決に向けて、領土返還運動の原点の地である根室から声を上げていかなくては進まないと強調させて頂く。私の後援会の皆さんは良く判っていることだが、幅広く多くの人の理解を得なくてはならない。
 15時40分釧路空港発で丘珠空港へ。今日は先週と違って天気も良く、予定通り日程を消化できた。中標津空港に着陸する時も、又根室市内に入ってからも国後島が目の前に入ってきて、あらためて元島民の皆さんのお顔を思い出しながら、問題の解決に向けて私なりに全力を尽くしていきたいと、しみじみ思ったものである。
 17時半から札幌厚生年金会館で松山千春さんの今年最後のコンサートに出かける。20日の函館、22日の旭川、24日の札幌、そして今日と「おっかけ」をしたが、松山さんの素晴らしい歌と話でどこも盛り上がる。特にトークはよく勉強しているし感覚も鋭く、私にとって大いに参考になる内容だった。独特の感性と人間味に心から敬服するのみである。旭川ではステージに上げられ、千春さんと一緒に「大空と大地の中で」を歌うことができた。今年の春のコンサートツアーでも帯広、釧路のステージに立たせて「大空と大地の中で」を歌わせて頂いたが、今回は又格別の思いであった。23日のコンサートではアンコールの際、私をステージに呼んでくれ、皆さんに紹介してくれた。そして千春は涙を流しながら選挙を振り返ってくれ、私を激励してくれた。私も自然と涙が流れ、千春と握手するしかなかった。今日も最終フィナーレで私をステージに上げて皆さんに紹介して下さった。松山さんの男気に心から感謝するとともに、人生の出会い、巡り合わせに手を合わせるのみである。人生をかけた、あとのなかった9月の衆議院選挙、松山さんのご尽力に「千春、本当にありがとう」と心の中で叫ぶものである。

2005年12月24日(土)

鈴 木 宗 男

 来年度予算政府案が閣議決定される日だが、議員会館は閉まっている部屋が多い。予算は22日の大臣折衝で終わっていると言っても、役所は仕事をしている。こういう時に政治家の存在が問われると思うのだが。特に与党の政治家から「俺たちが国民生活を守るんだ」という気概が伝わらないのは、今日の議員会館を見て改めて感じるものだった。
 13時よりフジテレビの「マチャミの日本ガキニュース」録画撮り。30日11時からの放送分だが、子供たちの素朴な質問に対してわかりやすく説明するのはなかなか難しく、良い勉強になった。「税金の無駄遣い」というテーマでは、議員年金の即廃止、政党助成金の廃止を話させて戴く。政治家自らが、すぐ出来ることから無駄をなくしていくことが大事だと強調させて戴いた。
 夕方の飛行機で千歳に向かい、札幌に入る。後援者に年末のご挨拶をし、事務所関係者と来年の日程の打ち合わせ等を行う。
 今日の新聞でも耐震偽装マンションのことを各紙大きく取り上げている。この件に関する私の考えをまとめたものを、23日発売の内外タイムスで述べさせて戴いた。以下に全文を記すので、ご一読頂ければ幸いである。種々な考えがあると思われるが、是非ともご指摘、ご忠告をお願いしたい。
 耐震強度偽装事件は姉歯元一級建築士による個人犯罪ではなく、他人を騙してでも儲かればよいという新自由主義政策から必然的に生まれるものだ。お天道様が見ていなければ、人は悪いことをする。何でもかんでも官から民へ移行すればよいという単純な考えでは、この種の事件はこれからも続く。
 まず、政治家がしなくてはならないのは、官から民への移行が国民の立場から見た場合、本当に正しかったのかを再検討することだ。22日付産経新聞で、橋本龍太郎元首相が「たとえば(中曽根内閣の運輸相として自分が関わった)国鉄民営化をほめてくれる方がいるが、JR西日本の福知山線脱線事故がおきてものすごく後悔している」と述べているが、この言葉は重い。儲かればよいという新自由主義とは別の、国民の真の安全と利益という観点に立って、今後は政府が責任を持った体制で、建築基準を監視する必要がある。
 耐震強度偽装事件の被害に遭われた皆さんは、本当にお気の毒で、その怒りと悲しみはよくわかる。しかし、公的資金、つまり国民の税金の投入については、慎重に対処すべきだ。中越地震で住宅が倒壊した人々に対する公的資金の投入はなされていない。地震は天災で、偽装は人災だ。天災ならば国民の税金を使うことについても理解を得られるが、人災については、まず加害者に責任をとってもらうのが筋だ。また、家を持っていない多くの国民の税金が使われることに対する国民感情にも配慮しなくてはならない。姉歯元一級建築士に弁済能力がないとしても、今回の偽装に関わった企業の自己責任は、徹底的に追及すべきだ。国民、マスコミ、政治家が三位一体になって圧力をかけ、政府が本気になって総研、ヒューザー、木村建設などの資産がどれくらいあるかを明らかにし、これら企業にきちんと責任をとらせた上で、それから国民の税金の投入の是非について、まず国会で議論すべきと私は考える。

2005年12月23日(金)

鈴 木 宗 男

 6時42分旭川駅発で札幌駅へ。乗り換えて千歳空港駅。
 9時半千歳発で大阪伊丹空港。京都に向かい、映画撮影。約1時間程撮影所に居て、大阪伊丹空港に向かう。今朝の旭川はマイナス20度近かったが、京都、大阪との温度差は25度くらいあり、いつものことだが狭い日本でもこれだけの差があることを認識して、政治が行われなければならない。
 人口減が大きな記事になっている(朝日新聞)。データ的に何年も前から予測できたことに、何もしてこなかった行政、政治の責任は重いのではないか。日本の将来を考える上で、もっと深刻に「初の人口自然減」を受けとめなくてはならない。
 予算政府案で、検察官、刑務官の増員が認められたが、公正、公平を期すためにも検察官、裁判官の定数はもっと増やすべきである。検察官も手足がないのでマスコミにリークしたり、メディアの発信を鵜呑みにして捜査したりする傾向がある。より多くの専門家がいることにより、冤罪が少なくなると思う。
 裁判官も人数が少ないと、裁判日程がきつくなる。正しい判断、認識をしてもらう環境作りをする事が大事だと思う。私は検察官、裁判官の増員に向けて、世論の理解を得る努力をしていきたい。
 麻生外相が対中認識で「脅威となりつつある」と記者会見で語り、中国側が反発している。大所高所での議論はいいが、言葉尻をとらえられる様な発言はしない方が、国益のために大事ではないか。麻生外相の認識がどう変わっていくのか注目したい。

2005年12月22日(木)

鈴 木 宗 男

 午前中、議員会館でお客さん対応。11時45分から首相官邸での内閣制度創始120周年記念式典に出席。歴代総理、官房長官・副長官経験者と、現内閣、副大臣、大臣政務官、官邸勤務経験のある役所の人が来ていた。懐かしい顔、久しぶりの人もおり、ご挨拶させて戴く。明治18年の今日内閣制度がスタートして120年、歴史を振り返る良い機会だった。中曽根元総理が乾杯の音頭を取られたが、矍鑠(かくしゃく)たるお姿で、これまた歴史を感じる。私自身のことも振り返りながら「国策捜査に巻き込まれなければ」との思いもしながら「宿命に生まれ、宿命に生きる」と自らを叱咤する。
 午後からテレビ朝日の録画撮り2本。23日17時から放送の「スーパーJチャンネル」で、政治状況、地方から見て心配することを話し、30日16時半から放送の年末報道特別番組「上田晋也の日本の宿題」である。テレビをみて、種々ご指摘、ご叱責を戴きたいと思う。
 16時55分の飛行機で旭川へ。後援会との打ち合わせ、会合等こなす。東京も寒い日が続くが、旭川の寒さは格別である。この厳しい自然環境の中で、一所懸命働いている人達の気持ちを大事にしたい。頑張って働いている人達に、少しでも希望や勇気を与えたいと、マイナス10度以下の空の下でしみじみ考える。
 新聞は小泉チルドレン無派閥忘年会を話題にし、小泉首相が「やきもちやかなくても良いんじゃないか」と言ったことが記事になっている。国民生活を守る来年度予算政府原案の審議最中にあって、緊張感、責任感が伝わってこないと思うのは、私だけだろうか。年末どうやって年を越そうか、どうやって生きていこうかと心配している人のことを思うと、優しさ、思いやり、慈しみ、愛情等、私がいつも言う心の通った政治を、政治家等しく考えていきたいものである。

2005年12月21日(水)

鈴 木 宗 男

 夜中の1時23分函館駅発の夜行に乗り、6時7分札幌駅着。銭湯に行って洗面をして、8時半丘珠空港発で中標津空港へ。車で根室管内標津町へ向かい、10時から大変お世話になった篠田順一さんの告別式に参列。弔辞を読ませて戴く。
 昭和58年からのとても熱心な応援者で、標津町後援会を語る時、篠田さん抜きにしてはあり得ない。ご家族、ご一統様に大変お世話になっており、56歳での旅立ちはあまりにも惨いことだ。平成14年から病魔との闘いだったが、よく4年間頑張ったものだ。奥さん、3人の子供さんを、84歳のお母さんを残して、どんなにか無念だったことだろう。
 私も胃ガンを宣告され、悪性だ、転移の可能性ありと言われた時は目の前が真っ暗になったが、今こうして元気になったことに感謝したい。同年代の人の訃報に接すると、他人事でない思いをする様になる。健康のありがたさを、もっともっと感じなくてはならない。
 講談社から『闇権力の執行人』という本を出したが、今日の朝日新聞の広告にも載っており、書店に並んでいるので是非とも読んで戴きたい。外務省、検察、政治に対する私の思いを淡々と記させて戴いた。国民に少しでも「闇権力」の存在を、「権力闘争」のすさまじさを知って戴きたいし、鈴木宗男の生き方をわかってもらえればと考えた上での出版である。一人でも多くの皆さんに手に取って戴きたいとお願いしたい。

2005年12月20日(火)

鈴 木 宗 男

 予算内示、財務省からの連絡を受けながらも、明るい展望の開ける予算がないことに、何ともやるせない思いだ。釧路管内の市町村長さんはじめ道内各地から沢山の人が来てくれるが、開発予算削減のショックは大きく、「北海道から幹事長が出ても何の足しにもならない」「政治は弱い人、立ち後れた地域の為にあるのではないか」とボヤキにも似た苦言に、私も同感と思いながら苦笑いするしかない。12の道内小選挙区で、自民・公明で4つしか議席をとれなかったことを、与党政治家はどう考えているのだろうか。与党の役割、果たすべき使命を、しっかりもってもらいたい。
 14時からマスコミ関係者の集まりである「千代田プレスクラブ」で「日ロ交渉と日本の外務省」というタイトルで講演。11月の日ロ首脳会談の失敗、外務官僚の基礎体力の低下等、具体的に約1時間半ほど話し、質問を受ける。私の言う現実的解決論を、出席者の皆さんには理解して戴けたと思う。空想的解決ではなく、運動でもなく、交渉して結果を出すことに政治の重さ、決断があることを強調した。
 16時45分発で函館に向かい、後援会会合に出席。選挙中9月7日の遊説の時、台風とぶつかり大雨の中遊説したものだが、今となってはいい想い出で、雨の中駆けつけてくれた熱心な応援者は今日も温かく迎えてくれる。選挙後今回で函館・道南は4度目だが、足を運ぶたびに新しい同志が増え、有難い。人間関係を更に更に深めて行こう。道南も政治空白地帯であるので、私なりにその役目を果たしていきたい。
 北村直人前代議士が記者会見し、引退表明。58歳、まだこれからの年齢なのに、もったいない。本人にやる気がなくなったのか。応援した人達は淋しい思いをしていることだろう。
 政治の世界は権力闘争でもあり、私もそれに巻き込まれた者として、確固たる信念を持って生きていかなければと考える。敗者復活できた者として、挫折や失敗した人達に、私は勇気ややる気を与える生き方をしたいといつも心に刻んでいる。

2005年12月19日(月)

鈴 木 宗 男

 午前中札幌事務所で仕事。12時から札幌事務所幹事会(事務所運営の皆様方)打ち合わせ会。今まで代表は野村さんだったが、5月に亡くなり、久しぶりの会議だったが、野村さんの遺志、思いを今後もしっかり護っていこうと、出席者皆様の総意になる。変わらざるご支援に、感謝の気持ちで一杯だ。
 14時半の千歳発で上京。機材繰りで約45分遅れて出発。東京についてからの日程があるのでやきもきする。羽田から都心に入るまで2時間かかり、大事な人との面会も出来なくなり、来週にして戴く。
 夜は経済界、テレビ局関係者と懇談。2週間前に続いての会合だが、高い見識を持った人の話は勉強になる。
 20時から予算陳情に来ている道議会議員の皆さんと打ち合わせ。予算内示を控え、北海道の一人負け、大幅な予算の削減に浮かぬ顔だった。口々に「政治がない。北海道の与党政治家は何をしているんだ」との内輪からの声が私によせられる。同感と思いながらも、北海道民はもっと深刻に受けとめるべきではないか。
 それにしても、失業率5%台、自殺者が一番多い北海道の現状を、何故自分に置き換えて考えないのか。首相に「偉大なイエスマン」と言う前に、道民、国民に対し、偉大なイエスマンであって欲しいとしみじみ思う。これは私だけの願いではなく、多くの声なき声を代弁していることをわかって欲しい。
 診療報酬3.16%下げ、過去最高幅。財政問題があるのは事実だが、医療の質の面から、これでいいのか。単なるつじつま合わせ、数字のやりとりとしか思えないが、国民はどう考えるのだろうか。
 WTO閣僚会議が閉幕したが、コメなど大幅な自由化が難しい農産物の取扱いは結論を先送りし、「細目合意」は来年4月末とし、上限関税導入や重要品目の割合を今回の閣僚宣言に盛り込まなかったことでとりあえずしのげたが、これからの交渉次第では道内農業が一番割を食うことにもなるので、更に危機感を持って対処していかなくてはならない。生産者の心配をよそに、消費者の皆さんも食の安全・安心の面から関心を持って欲しいとお願いしたい。

2005年12月18日(日)

鈴 木 宗 男

 7時40分の羽田発で千歳へ行く予定が飛行機欠航、8時発に振り替える。空知管内美唄に向かうが、高速道路は雪の為に通行止め。千歳空港は晴れているのだがわずか10キロ離れていても天気が激変する。冬の天気は気まぐれどころか危険だ。美唄市の老人ホームの餅つきに参加し、久しぶりに杵を持った。なつかしい感触で餅つきをさせて頂く。その後、後援会企業の年末恒例の餅つき、焼肉パーティ−に参加。150人もの人が集まり盛大に行われる。ジンギスカン、牡蠣焼き、お餅をいただきながら参加者と懇談する。私と会うのが初めての人も多かったが、気さくに話をする姿に皆さん打解けてくれ、話がはずむ。比較になるのが地元の政治家だが、「鈴木さんは違う、話しやすい、親しみがある」と言ってもらえて有難い。私の場合、人に会わせて頂くのが一番だ。
 夕方の飛行機で中標津空港に行き、根室市で後援会の会合をする予定だったが悪天候のため飛行機が欠航となり25日に変更した。冬の日程は天気との闘いでもある。同時に北海道は広いので「札幌は天気でも地方はダメ」な場合もあり、天気図、天気予報を見ながら行動しなくてはならない。この厳しい現実を東京の人はわかってくれるだろうか。
 フィギュアスケートのグランプリファイナル最終日女子で、15歳の浅田真央さんが初出場で優勝の快挙、はじけるような笑顔が印象的だ。ゴルフの宮里藍選手を筆頭にマラソンの高橋尚子選手の復活等、女子の活躍がめだつ1年だった。感動を与えてくれる人達に感謝したい。私は敗者復活出来た者として、挫折を味わった人達に「鈴木をみろ、どんなに叩かれても信念を持って正直に生きれば明日があるぞ」という姿を示せただけでも、少しは弱い人達の為になったのではないかと考えるのだが。更に勇気や感動を与えるべく努力していきたい。

2005年12月17日(土)

鈴 木 宗 男

 11時から新宿北ライオンズクラブ20周年式典で講演。「これでいいのかこの日本」というタイトルで、モノ・カネ優先の価値ではなく、思いやり、慈しみ、優しさ、愛情といった計算の出来ない、単位のつかない価値を政治家は訴えるべきだと話をさせて戴く。ライオンズクラブは奉仕の精神であり、今こそライオンズ精神が生かされるべきであり、ライオンズ精神が必要とされる時を迎えていると思う。
 議員会館に入り、13時半からフジテレビの収録。1月1日23時半から「ブンブンお正月 正月からどこ見てんのよ ジャリバラスペシャル」で放送される予定である。
 16時半から東京プリンスホテルで八角部屋 北勝力関の結婚披露宴に出席。発起人代表で挨拶する。船村徹先生も栃木県同郷のご縁でご挨拶を戴いた。高砂一門の親方衆、関取も駆けつけ、横綱朝青龍は存在感がひときわ大きかった。横綱が鏡割りの際、私に「娘さんの姿に感動しました」と話かけてくれ、感激した。
 1時間程で失礼し、日本テレビの生田スタジオで1月3日18時放送の「太田光の私が総理大臣になったら」の収録。ここも1時間で途中失礼し、テレビ朝日の「やじうまプラス」の収録。12月31日午前6時から10時45分までの放送で、今年の外交問題に関しての番組で、持論を述べさせて戴いた。
 土曜日でも一日慌ただしかった。師走とはよく言ったものである。

2005年12月16日(金)

鈴 木 宗 男

 議員会館でお客さんの対応、取材を受ける。今日は新聞2社の記者さんから外務省のこと、来年の政局、動向に向けて聞かれる。いつもの私の認識を話す。
 15時半からニッポン放送ラジオに2時間出演。松山千春さんのこと、娘のこと、新党大地のこと、今の政治について高嶋ひでたけ、川野よしこアナウンサーから質問を受ける。番組の中で娘の声が流れてきたのでびっくり。聞いてみたら、番組スタートの3時間前に電話取材したとのこと。貴子の声が聞けただけでも、ニッポン放送に出て良かった。
 貴子から父親としての来年のあるべき姿、日程について強烈なアドバイスがあったので、十分心して実行しなければならない。私にとってカウンセラーでもある娘の話は、絶対である。それにしても海の向こうからビシッと言われると、体が硬直した感じだった。適切な話なので、私から反論できるものではない。
 ゴルフ男子ツアーに挑戦した宮里藍さんが、残念ながら予選落ち。地元の大会に貢献したいという思いで頑張った宮里さんの心意気に、沖縄の皆さんは感激したことだろう。沖縄の人には「(ゆい)まーる」精神、いわゆる助け合いの心だが、20歳の宮里さんは実践した形だ。これだけでも素晴らしいことだと敬意を表したい。悲惨な、悲しいニュースの中で、宮里さんの行動は光るものがある。

2005年12月15日(木)

鈴 木 宗 男

 8時に家を出て、茨城県常陸太田市「竜神大吊橋」に向かう。長さ日本一を売りものにしているが、実際渡ってみると「なるほど」と思う大吊橋である。行き止まりの橋なので、その先何かつなげられなかったのかと残念に感じる。特に橋の終点にある「鐘の館」は、100円入れると希望の鐘、幸福の鐘、愛の鐘と、大音響の金属音が鳴る仕掛けになっているが、ピンとこない。地元水府の歌やメロディを流すとか、常陸太田市出身の方の歌など、また自然にあった文科省唱歌「ふるさと」を流すとか、知恵を使った方がいいのではないか。また、幅3mの橋だが、技術的安全性においての設計だと思うが、1mか1.5mでも十分ではないかと素人目には感じた。
 新緑、紅葉の時期は大勢の観光客が来るそうだ。確かに大自然を生かしたトレッキングコース、サイクリングコース、オートキャンプ場も近くにあり、それなりの受け入れ体制態勢もとれている。また、「そばの郷すいふ」は全国を代表するそばの産地だそうで、昼食に戴いたそばはとても美味しかった。
 年間22〜23万人の人が大人300円、小中200円の渡橋料を払っており、収入約7千万円、運営維持費は年2千万円で、5千万円は基金に積んでいるとのことで、実績としては評価しても良い。安定した観光客が見込まれるので、今後の発展を見守って参りたい。
 16時会館に戻り、書類整理。18時半より経済界関係者との懇談会に出て、21時から東京MXテレビ 「談志・陳平の言いたい放題」に出演。17日(土)11時からの放送だが、外務省問題、北朝鮮拉致問題について話す。西部邁先生も一緒だったので、とても良いトークになった。
 政府与党は、児童手当を拡充し、現行の年収780万円未満から860万円未満に緩和、対象年齢も小学3年生までから6年生までとし、平成18年度から実施することを決めたが、その財源としてたばこ1本1円引き上げるという。安易な、身勝手な手法の増税ではないか。税の哲学、本則をもっと議論して決めるのが筋だと思うのだが。
 こうしたドサクサに紛れてのやり方に、国民の率直な声、考え、怒りを発信するべきである。同時に、長いものにまかれる、権力に立ち向かわない政治家が多いことに、これでいいのかと考えさせられるものである。

2005年12月14日(水)

鈴 木 宗 男

 6時20分発の新幹線で京都へ。独立行政法人 雇用能力開発機構(前の雇用促進事業団)が管理運営する「私のしごと館」の視察。テレビ朝日さんの仕事の関係でだが、事業主の雇用保険で581億円かけてつくられたものである。人件費27人分で年2億4千万円、入場料収入は年1億1千万円しかなく、年20億円、雇用保険から運営費が捻出されている。働いている機構の皆さん、契約社員の人達は一所懸命なのだが、縦割り行政の弊害、これだけの規模のものが必要だったのか、何よりも雇用保険のお金を運営維持に使うのは筋違いであり、「民」の発想・知恵が必要でないかと感じた。
 修学旅行生も沢山来ていたが、文部科学省も中高生の修学旅行のコースに組み入れるなど、各省庁が協力していけば無駄のない新しい展開が出来るのではと考えた次第である。理念・目的は立派だが、年20億円の赤字ともいえるこの運営費を雇用保険から使うのは、いかがなものかとも思う。
 耐震強度偽造問題で、注目の姉歯元建築士が証人喚問で木村建設の圧力で偽造と証言、新しい事実が出てきた。とにかく真相をしっかり究明して、責任を明らかにしなくてはならない。
 夜は外交の専門家と懇談。外務省のこと、日露関係のことなど多岐にわたり、有意義なお話を聞くことが出来た。外務省OB、しかも要職をつとめた人の話は説得力があった。大いに参考にしていきたい。

2005年12月13日(火)

鈴 木 宗 男

 議員会館で週刊誌、月刊誌の取材。
 13時半より同台経済懇話会で講演。旧陸軍士官学校出身で戦後経済界に進まれた方々の集まりで、会長は瀬島龍三さん、代表幹事 山本卓眞富士通名誉会長、副代表幹事 山口信夫日本商工会議所会頭で、日本の戦後復興に貢献された人達で、話をさせて頂きながらも歴史の重みを感じたものだった。
 これからの日本の為に、鈴木宗男の本音、新党大地の誕生、経緯、政治家になった生い立ちと北海道、政治家として外交問題、わけても対ロ関係について、対中、対韓、アフリカ、アメリカ、ロシアについて、今までの歩みと歴史の検証をさせて頂く。最後に、今はモノ・カネ優先の風潮であり、計算の出来ない、単位のつかない価値を求める政治が必要ではないか、それは「心」であり、思いやり、優しさ、慈しみ、愛情であり、新党大地・鈴木宗男はこの事を強く訴えて参りたいと話をさせて頂いた。
 約1時間半講演したが、それなりに役目を果たすことが出来て良かった。命をかけた先人・先輩の姿に、言葉にならない、言うに言えない重み、深みを感じたものである。講演の機会を与えて下さったことに感謝したい。
 夕方は来年1月5日放送のテレビ番組の収録。年末年始、テレビも10本程入っており、鈴木宗男なりの発信をして行きたい。
 夜は、新聞社関係者との懇談。2カ所それぞれ、今の政治について、また、来年の動き等、情報交換させて頂く。

2005年12月12日(月)

鈴 木 宗 男

 9時54分より北海道文化放送の「のりゆきのトークDE北海道」に出演。アンケートあり、視聴者からの電話に答えるコーナーあり、ムネオマガジンの紹介ありと鈴木宗男丸裸的、約40分だったが鈴木宗男なりの発信は出来たのではないか。番組の後、私の各事務所に「頑張って」と励ましの電話・FAXが入っており嬉しかった。
 札幌事務所で雑誌の取材。TVでも雑誌でも1つ強調したことがある。
勝ち組万能の今の社会で、敗者復活した男がいる。負け組と一時言われても、目的・目標を持って頑張れば敗者復活出来るのだと勇気をもって欲しいと訴えた。それは事業、会社経営に失敗したりなにかにおいて挫折を味わった人に人生をあきらめるな、生きることは尊いことだ、鈴木宗男を見ろ、国策捜査で逮捕、437日の拘留、胃がん、母の死等地獄を見た男と比べれば、まだ恵まれている。まだ自分の方がましでないか。そんな意識を持って生きて欲しいと。私の生き方が、弱い立場の人に少しでも役に立つよう歩んで行きたい。
 みずほ証券誤発注で東証システムにも欠陥があり、東証の社長が引責辞任するそうだが、機械万能社会の不具合が新たな問題を提起した形になったが、やはり機械を管理するのも「人」であることをよく考えなければならない。大きな教訓として受け止め、再発防止に努めるべきだろう。

2005年12月11日(日)

鈴 木 宗 男

 午前中釧路市内で行事出席、挨拶廻り。12時40分釧路空港発で丘珠空港に。札幌事務所に入りHTB(北海道テレビ放送)の取材、23日18時から「イチオシ特番」で放送、16時から札幌市内での民間グループの忘年会に出席し挨拶させていただく。二百人の皆さんから写真ぜめに会う。
 18時から、新党大地の「年忘れ大地祭り」を行う。選挙後、事務所スタッフ、ボランティア関係者の解散式をしていなかったので忘年会をかねての打ち上げ式である。
 七百人以上の関係者が集まり選挙の想い出話、様々なエピソードで盛り上がる。
 半年前は選挙があるとは考えてもいなかったが八月に入り政治が動き出しまさに一寸先闇の結果だった。チャンスを生かせたことを出席者全員、歓喜の思いで乾杯する。事務所につめてくれた人達、ボランティアで頑張ってくれた皆さんに心からの感謝とお礼を申し上げた。
 京都で小六女児刺殺。こともあろうに塾の先生、なんという出来事か。人間不信になる昨今の社会的事件の続出で政治が無関係ではない今の状況を政治家一人一人が自覚すべきではないか。教育のあり方、家族のあり方、社会のあり方、構造改革の前に人間改革が先だとお互い考えていこうではないか。
 来年のドイツワールドカップサッカー日本はF組、ブラジル・豪州・クロアチアと同組になった。気の抜けない相手だが予選突破めざして、今からしっかり体制を築いてほしい。
 ガンバレ日本、明るいニュースを国民に届けてほしい。スポーツを通じて元気や誇りの大事さ尊さを得たいものである。

2005年12月10日(土)

鈴 木 宗 男

 朝9時から議員会館に入り、書類整理。10時20分発で女満別空港へ。北見事務所で後援会役員と懇談。
 14時から網走管内留辺蘂町で、最初の選挙からお世話になっている大澤さんの娘さんの結婚披露宴で挨拶。22年前私の膝にのり、頭を撫でてやったことを想い出す時、月日の流れを感じる。
 16時に網走管内美幌町廻りをし、18時から美幌後援会懇談会。7月10日以来の夜の会合なので、皆さんリラックスして過ごす。政治風土厳しい地域にあって、変わらざる支援、応援をして下さる心ある後援者、出席者に、ただただ頭の下がる思いで一杯だ。心から感謝するものである。
 日歯連事件で、東京地検 山崎拓氏ら再び不起訴と各紙が書いてある。東京新聞30面には以下のように載っている。

供述の矛盾、解明できず
山崎拓氏ら再び不起訴 検審が批判も真相闇に

 日本歯科医師連盟(日歯連)の献金ばらまき疑惑で、検察当局は山崎拓・元自民党副総裁ら7人の政治家を再び不起訴とした。「十分な捜査を尽くしたとはいえない」とする検察審査会の批判を受け、再捜査したが、結論は同じだった。焦点の迂回献金疑惑については、日歯連や自民党の関係者が認める供述をしていたが、真相は闇に葬られた。
 今年7月、検察審査会が政治資金規正法違反容疑で告発された山崎氏について「起訴が相当」と議決したのは、関係者の供述内容が山崎氏の供述と、大きく食い違っていたからだ。
 日歯連の内田裕丈元常任理事は2001年11月、山崎氏向けに3千万円、木村義雄元厚生労働副大臣と白見庄三郎前衆院議員に各1千万円を支出したと供述。出金伝票にもその記載があった。
 山崎氏は東京地検特捜部に「臼田前会長から党に対する献金として、幹事長室で5千万円といただき、ロッカーに1ヶ月弱置いたままにしていた」と説明。5千万円は自民党の政治資金団体「国民政治協会」(国政協)への献金と主張した。
 これについて内田元理事は「自民党に献金していないにもかかわらず、国政協から合計額が同じ領収書が送られてきたため、国政協への献金として処理した」と説明したため、政治家側が偽造領収書を使って、国政協への献金に見せかけた疑いが強まった。
 検察審査会は「山崎氏らの供述は関係者と食い違いが多いにもかかわらず、検察官の調べは事実に迫るにはあまりに少ない。捜査は不十分で納得がいかない」と批判した。それでも再捜査の末の結論は不起訴だった。

【解説】 上層部、政界混乱恐れる
 日歯連事件で、検察は7人の政治家を再び不起訴としたが、山崎拓・元自民党副総裁らに対する捜査には疑問が残る。
 東京地検特捜部は、国政協を経由した迂回献金が複数の政治家に渡ったとの疑いを強めた。この中には佐藤勉元厚生政務官や吉田幸弘元衆議院議員のように、党本部からの同額の献金受領を認めた政治家もいた。
 このため特捜部は、日歯連元理事らの供述や会計帳簿の記述の信ぴょう性は極めて高いと判断。自民党の献金処理を一手に担当していた元宿仁自民党事務局長からも、迂回献金があったことを認める供述を引き出し、収賄や政資法違反の罪での立件を目指した。
 特に山崎氏らについては、献金を直接受け取った後で国政協への献金を装ったとみて、立件に向けた捜査を続けていた。
 しかし、捜査は大詰めで尻すぼみとなった。検察上層部が「規制法の適用は5千万超」という意向を示したことが大きく影響した。迂回献金システムといういわば「パンドラの箱」に検察がメスを入れることで、政権与党に大きな混乱を生じさせることを、上層部は明らかに恐れていた。
 上層部が捜査の現場に事実上のストップをかけたという疑念はぬぐい切れない。

(杉谷剛)

 検察上層部が「規制法の適用は5千万円超」という意向を示したことが大きく影響したとあるが、何故5千万円という基準なのか。国民から見て、5千万円以下は小さなお金だろうか。狙ったら金額が少なくとも逮捕する検察が、公正公平な判断をしたと、国民は理解するだろうか。
 「迂回献金システムといういわば『パンドラの箱』に検察がメスを入れることで、政権与党に大きな混乱を生じさせることを、上層部は明らかに恐れていた。上層部が捜査の現場に事実上のストップをかけたという疑念はぬぐい切れない」との署名記事もあるが、多くの人がそう受け止めることだろう。権力側に近いものは手をつけないというやり方が目に見えてくるが、国民の皆さんはどう受け止めるだろうか。官僚の意識改革が急務と考えるものだが。

2005年12月9日(金)

鈴 木 宗 男

 みずほ証券ジェイコム株誤認発注で大損失したことが出ているが「61万円で1株」が「1円で61万株」では、とんでもないミスである。金額と株数を逆に入力し、端末の警告も見落とした結果だが、機械・コンピューター時代の怖さが露呈したものだろう。人為的ミスとはいいながら、どこにでも起きることなので考えていかなくてはならない。それにしても、誰が責任をとるのか。金額が金額だけに、またぞろ関心を集めることだろう。冷静に、そっとしてあげるのが一番と思うが。
 森前首相が8日、中川政調会長のパーティーで「中川さんは首相の方に偏りすぎているかなと思う。武部幹事長には党に7、首相に3と言ったが、今や12対0だ。自民党は談論風発の議論をし、まとめていくことが大切だ」と述べ、武部・中川両氏ら党執行部に苦言を呈した(読売新聞朝刊4面)と書かれているが、党内の思い、声なき声を代弁したことだろう。森前首相のバランス感覚を真摯に受け止めるべきである。
 心の準備がないままポストに就くと、どうしても惰性に流される危険がある。過去の歴史をみても、自他共に認められる人がbQたる幹事長になっていたものだ。過去の人事でも間違ってなった人の場合、軽くみられてポストを去った後は話題にものぼらない人がいたことを考えると、ポストを離れて無役でも、存在感、影響力を持った政治家でいてほしいと思うのは私だけではないだろう。
 今日も雑誌『世界』で北大の山口二郎先生との対談。夜は毎日新聞社編集綱領制定記念のつどい 座談会に出席。自分の考えを述べる機会を得られることは有難いことである。こうした機会を生かして、新党大地・鈴木宗男のメッセージを発信していきたい。

2005年12月8日(木)

鈴 木 宗 男

 午前中、東京FMの収録。夕方から3時間半かけて日本テレビ「紳助の世界オドロキ人間2006」の収録。バラエティ番組に出るのは初めてなので戸惑いもあったが、進行していく中で入り込んでしまう。来年1月2日18時からの放送なので、楽しみにしよう。
 夜は週刊誌関係者と懇談。色々な情報を聞かされながら、4年前の「ムネオバッシング」は権力側によって巧妙につくられたことを知る思いだ。外務官僚が意図的、恣意的にリークすると、当然それはニュースであり、また真実と受け止め、記事になっていく。あらためて外務官僚のやり方などを聞かされたり教えられたりすると、権力の凄さ、罠を知る。今日も貴重な話を聞かせてもらえて有難かった。
 道路財源の一般財源化を自民党は方向付けするそうだが、目的税はその目的を果たしたならやめるべきではないのか。特に、暫定税率を維持したままというのは筋が通らない。地方の道路建設はまだまだ必要であるし、納税者に十分な説明もないまま一方的に決めていくやり方に、自民党の中からどうして反対の議論が起きないのか。税の哲学から言っても手続きから言っても、押しつけ、独善的やり方を受け入れる今のやり方は政治ではないと思う。国民の皆さんはどう受け止めるのだろうか。
 イラクへの自衛隊派遣1年間延長が決まったが、昨年1年延長し、更に1年の延長だが、自衛隊員に事故のない様、1人とて不測の事態に巻き込まれることのない様祈るのみである。派遣されている自衛隊員は組織の一員として命令に従い、それなりの心構えを持って行っていることと思うが、残された奥さん、家族は、とても心配していることを私は直接聞かされている。私はかけがえのない家族の声を大事にしていこうと思う。

2005年12月7日(水)

鈴 木 宗 男

 昨日、私が毎日新聞・山田孝男記者の「発信箱:基軸なき『鈴木宗男』報道」についてコメントを書いたが、いくつもの反響があったので、この件について私の考えを追加的に説明したい。
 まず、山田さんが「鈴木氏は昨年11月、懲役2年の実刑判決を受けた」、「鈴木氏がどう悪いか不明確」と書いていることについて、「第一審判決の言い渡しを受けただけで、鈴木さんが控訴している以上、無罪推定が働くべきであるのに、山田さんの書き方には違和感がある」という意見が寄せられた。この点については確かにそう思う。
 それから、「外務省との関係について、鈴木宗男は正しいと開き直っているのではないか」という御批判も受けたが、これは私の説明の仕方が不十分だったので、誤解を招いたのかもしれない。外務省との関係について、私として反省すべきことはたくさんある。守るべきではない外務官僚の特権やスキャンダル隠しに手を貸してしまったことについては、結果として国益を毀損したことになると国民のみなさまに深くお詫びする。しかし、私は、私からの聞き取りすらせずに私を断罪する報告書を作成した外務官僚やその手先となった元司法官僚に対して謝罪するつもりは毛頭ない。国民に対する私のお詫びと反省は口だけでは不十分だと確信するので週刊新潮に手記を寄せ、週刊文春の対談にも応じたのである。更に質問主意書、国会質問を通じて、国民に外務官僚が隠そうとしている真実を明らかにすることで、私は国民に対してお詫びと反省を行動で示す努力をしている。近く外務官僚と私の関係や取り調べの実態について記した手記を講談社から公刊するので、そこで国民のみなさまに真実について更に多くの情報を提供することができる。350頁を超えるだいぶ厚い本になりそうだ。
 私は名誉回復を求めているのでもなければ、ましてや復讐劇を演じているのでもない。この点が山田さんには理解していただけていないようで淋しい思いをしている。私が心底反省しているのは、国民の知る権利の立場にきちんと立脚していなかったことだ。そこに気付いたときに、私のマスコミ観がかわった。マスコミはあくまでも媒体で、特定の立場で誰かを断罪したり、褒め讃えたりする機関ではないことがわかった。「理非善悪」は政治家やマスコミが決定するのではなく、国民の判断に委ねるというのが真の民主主義だと思う。それに国民の知る権利とは、3年半前、外務省や検察が流した「事実と異なるニセ情報を知る権利」ではないと思う。国民の知る権利とは、正しい情報を知る権利だと思う。
 山田さんの指摘、すなわちマスコミが基軸をもつべきだというのはとても重要な問題提起だ。私の理解は、その基軸とはマスコミが考える「理非善悪」ではなく、国民の知る権利に奉仕する事実を報道するか否かという基軸だと思う。だから私は国会議員としての権限を最大限に行使して、外務官僚が隠している真実を国民の前に明らかにしようと努力している。11月30日の国会審議で、原田親仁外務省欧州局長は「私の個人的なことなので」と答弁を拒否した。個人情報保護法の危険はまさにこのような高級官僚が個人情報を口実に官僚にとって都合の悪い事実を隠そうとすることだ。原田氏の対応を見て、一日も早く個人情報保護法を改正し、国会議員と高級官僚に関する情報は個人情報保護法の対象外にすべきであると決意を新たにした。
 山田さんが提起したのと同じ問題を魚住昭氏が本日(7日)発売の『ダカーポ』のメディア時評(「ムネオ氏の復権とジャーナリズム神話の崩壊」)で取り扱っている。ただし魚住さんは、マスコミが「理非善悪」を基軸にすえよとの「べき論」は唱えない。
 「私はムネオ氏復権の背景には記者や編集者たちの意識の変化があるような気がしてならない。(中略)彼らは報道の真実性や正当性をめぐる深刻な葛藤をしなくなり、『所詮われわれは商業媒体の一員だ』と居直るようになってしまったのではないか。(中略)私はムネオ氏の今の政治姿勢を高く評価している。だから氏が国政の場に戻ったことも、さまざまなメディアがこぞってその発言を報じていることも喜ぶべきなのだろう。しかし、その復権は、ジャーナリズム神話の崩壊による、メディアの構造変化がもたらしたものかもしれないと思うと、複雑な心境だ。」
 魚住さんの指摘はもっともなことと思う。
 私はマスコミが、過去のしがらみにとらわれず、是々非々の立場で政治家を取り扱うことは、国民の知る権利の観点で大いに歓迎すべきと考えるが、皆さんはどう思われるだろうか。

2005年12月6日(火)

鈴 木 宗 男

 8時半から帯広市内挨拶廻りをして、10時15分発で上京。今日の帯広はマイナス8度で寒かったが、見事な晴天で日高山脈がまぶしかった。「寒門に硬骨あり」というが、この厳しい自然が人を育ててくれるのである。寒さを感じながら、子供の頃 手をこすりこすり学校に通ったことを想い出す時、月日の流れを感じる。
 議員会館に入り、お客さん、陳情団の対応。日本テレビの取材もあり、エチオピアのムルシ族が3人会館に来られ、異文化、歴史の勉強になった。世界には種々な人種、文化慣習等あるものだ。来年1月2日18時からの「紳助の世界オドロキ人間2006」で放送されるので、みて頂きたい。
 昨日の毎日新聞2面発信箱欄に、山田孝男記者が「基軸なき『鈴木宗男』報道」と書いていた。読まれた方はそれぞれ受け止め方があると思うが、本人たる私から一つだけ言いたい点がある。平成14年、猛烈なこれでもかこれでもかという鈴木宗男バッシングが展開されたが、報道されたことで私は今裁判しているものは一つもない。「ムネオハウス」も「ケニア ソンドゥミリウダム」も、私の秘書であった「ジョン ムウェテ ムルアカの偽造パスポート問題、身分に関する件」も、あの時一方的に検察からのリークや外務省からのリークを裏付けもとらず一方的に書いたことに対してどんな見解をお持ちか、最初に示して頂きたいものである。
 記事の中に「鈴木氏も『行き過ぎ』を認めていた」と書かれているが、平成14年3月の外務省の報告書は一方的な外務省側の聴取をまとめたもので、公正・公平を欠いている。それを私は「行き過ぎ」と認めるものではない。お騒がせしたことを、国民の皆さんに申し訳なく思っているだけである。
 経験豊富な、第一線の記者である山田孝男さんのご見解を頂きたいと思う。正直者が馬鹿をみない為にも、私は与えられた環境で頑張っていきたいと決意するものである

2005年12月5日(月)

鈴 木 宗 男

 女性部の皆さんのバスを見送る。11台のバスが次から次へと出発していく様子は圧巻である。ちょうど雪が降ってきて、何か幻想的な、また、感傷的な光景であり、故郷の皆さんは有難いとつくづく感じた。
 「耐震偽造 発端のマンション 総研が設計主導」と毎日新聞1面トップで報じられているが、事実関係をはっきりさせて欲しい。テレビも批判するのは結構だが、なぜこのようなことが起きたか、基本の部分につき検証して欲しい。規制緩和により、「民」に移行した責任はないのか。「公」の立場でチェックしないと当然今回のようなことが起こりえたのではないか等、十分な調査と結論を、国はすべきではないか。報道は事実のみを淡々と国民に知らせて頂きたい。
 お昼に帯広に入り、十勝管内市町村議員との懇談会。私や「大地」に関わりのある議員さんに来て頂いたが、「大地」に対する関心は高く、責任を感じる。定期的な会合を持つことにした。
 帯広後援会三役会、建設関連後援会、18時から青年部の忘年会、勝手連的グループ日の出会の焼き肉パーティー、自衛隊OB後援会、青年部後援会、カラオケの会、メイクの会等々、5カ所廻り親交を深める。久しぶりの帯広なので、有効な時間の使い方だった。

2005年12月4日(日)

鈴 木 宗 男

 8時丘珠空港発で釧路へ。とても良い天気で札幌から石狩平野、夕張山系、日高山脈、十勝平野、足寄の町を左手に見ながら釧路空港到着。
 10時から新釧路市合併記念式典、12時半から記念祝賀会に出席。釧路管内阿寒町、音別町と釧路市が一緒になったのだが、釧路湿原国立公園、阿寒国立公園と一行政体で二つの国立公園を抱えるのは釧路市だけだろう。これだけでもスケールの大きい「市」が誕生したのであり、合併の意味は大きい。私は挨拶の中で「阿寒町、音別町が合併という歴史的な決断をされたことに敬意を表し、合併を期に先人、先輩がどんな思いで開墾の鍬を入れたか、かけがえのない故郷を愛する気持ちを高めること、モノ、カネ優先ではなく計算のできない価値、おもいやり、慈しみ、やさしさ、愛情を釧路市の人は持とうではないか。「釧路へ行ったら、市民の皆さんは広い心でとっても暖かかったと言われる様にしようではないか」と話させて頂く。新釧路市の発展を願ってやまない。
 釧路市内でお世話になった方を2軒ほど弔問し、阿寒湖畔に向かう。15時から鈴木宗男後援会女性部の釧路管内の一泊研修会。先週の根室管内女性部に引き続いての行事だが、今日も450人近い人が参加して盛大に行うことができた。17時半からの懇親会も、余興の出し物、ジャンケンゲーム等で盛り上がる。女性部の組織拡大も決議され有意義な総会だった。
 栃木の女児殺害の犯人がまだ捕まっていないが、ここ数年、事件の警察の検挙率が20%というが、このことをよく考える時、昨日も触れたが、必要な公務員は増やすべきだと痛感する。是非とも国民に考えて頂きたい。

2005年12月3日(土)

鈴 木 宗 男

 午前中議員会館で書類整理、日程調整。14時の飛行機で千歳へ。
 機内でスポーツニッポンを読むと、26面に半ページ以上のスペースで「いま、この人U 鈴木宗男議員」という記事があり、びっくり。「ムネオ逆境パワーに愛娘の"抱擁力"」と、貴子との写真が大きく載っている。今日の掲載とは知らなかったので慌てて読んだが、人間鈴木宗男の一端が出ており良かった。今朝娘とは電話をしたばかりであり、元気な声に安心しながら、更に新聞に出ている娘の思いをしっかり受け止めて、頑張っていこう。
 苫小牧で、大変お世話になっている後援者の矢部幸一社長さんの苫小牧市郷土貢献者表彰受賞祝賀会に出席し、ご挨拶させて戴く。19時札幌に入り、後援会企業の忘年会出席。20時から後援者との夕食会と、切れ目なく日程をこなす。選挙区が全道となると、挨拶廻りも週末休みなくやっているが、日程のやりくりが大変である。選挙区、選挙民あっての政治家なので、原点を忘れずしっかりやっていこう。
 栃木の不明少女が最悪の事態で発見されたが、どうしてこうも悲惨な事件が起きるのか。考えられない様な出来事が続発することを、政治の名においてきちんと考えなくてはならない。世界一安全と言われた日本が、世界一危ない国と言われることはごめんだ。
 「治安」は国の基本に関わることである。政治家等しく「治安」「教育」「防衛」「外交」国家の基本に関する議論が欠けているのではないか。以前の国政選挙では必ず論じられたテーマが、最近「改革」とか「規制緩和」とか、内向きの小さな議論しか争点になっていないことを反省すべきでないか。無駄な公務員の削減は結構だが、治安に関する公務員は逆に増やすことが国民の安全、安心のためにも必要ではないか。
 悲しいニュースに接しながら、国のあるべき姿を真剣に考えていきたいと思う。

2005年12月2日(金)

鈴 木 宗 男

 朝から雑誌社3社、テレビ局1社の取材を受ける。30日の国会質問に関することが多く、やはり質問できたことは意味がある。
 「外務省の原田局長の答弁はなっていない」と各方面からファックス、メール、電話が入る。野中先生からも電話があり、「とことんきちっとした形で国民に知らせた方がいい。谷内事務次官はしっかりしているので、何も言ってこないと思う」と話してくれた。
 無駄をなくすのが政府の方針なら、私も大いに協力していきたい。国民の目線で、国民の想いを実現するのが政治であるから。外務省の件について、何かご指摘があれば、何なりともお申し付け戴きたい。
 夜は松山千春さんのコンサート。昨日も行ったが、何かにつけ心をよせてくれる松山さんに感謝しながら、名曲の数々を聞かせて戴く。千春節も全開で、選挙のことを楽しく愉快に会場の皆さんに話をして戴き、盛り上がる。いつも変わらぬ松山さんの心遣いに、感謝するものである。

2005年12月1日(木)

鈴 木 宗 男

 今日から師走、1年経つのは速いものである。特に今年は選挙があり、あっという間の12月である。今年の締めくくりの月として、しっかりやっていこう。
 昨日全国町村長大会があったので、朝から地元北海道はじめ、全国から知り合いの町村長が訪ねてくれる。懐かしい話や想い出話が嬉しかった。
 昨日の国会質問は、テレビニュース、また朝刊で報じられ、それなりにアピールできたと思う。無駄をなくすのが小泉政権の大方針であり、私も積極的に協力するところは協力していきたい。その為には国民から見てかけ離れた処遇・厚遇は、政治の名において正していかなければならない。特に真実を、事実を明らかにしない一部外務官僚は、昨日も明らかに虚偽(きょぎ)の答弁をしており、かえって取り組みやすくなった。
 昨日の質疑からもはっきりしたのは、個人情報保護法は国会議員、官僚は対象外にした方がいいということである。官僚が言い逃れをする口実を与えてはいけない。情報の透明性と開示の為にも、個人情報保護法の一部改正に向け、知恵を出していきたい。
 広島女児殺人事件でペルー人が逮捕されたが、やるせない思いだ。簡単に人の命を奪うとは、なんということか。あってはならないことが起きている。「マブチ」事件の2被告も、更に別の殺人2件供述と夕刊にのっているが、とんでもないことだ。人の命をなんと考えているのか。
 悲惨な、不幸な事件が起きる度にゾッとするが、目を背けるだけではなく、政治の果たすべき役割、特に教育、わけても心のあり様をしっかり訴えていきたい。世界一安全といわれた日本の名声を、今一度取り戻す為にも。


<<  2005年12月  >>  | TOPへ

 

鈴木宗男の最新情報国家の罠鈴木宗男の歩み鈴木宗男の政治鈴木宗男の横顔鈴木宗男の関連記事ムネオの真相

このサイトの写真・文章などは、手段や形態を問わず複製・転載することを禁じます。
Copyright (C)2000 Muneo Suzuki Office. All rights reserved.