ムネオ日記
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2006年5月31日(水)

鈴 木 宗 男

 小泉首相が会期延長しない方針を決めたと報道されている。共謀罪を新設する組織犯罪処罰法改正案や教育基本法改正案、社会保険庁改革法案、医療制度改革法案、国民投票法案といった政府提案法案はどうなるのか。中でも社会保険庁改革法案は早く成立させるべきと考えるが、間に合うのだろうか。
 共謀罪、教育基本法改正案はじっくり時間をかけてやるべき性質のもので、拙速にすべきではない。特に共謀罪については、より慎重に、かつ適用範囲等についてもっとしっかり精査・議論すべきものである。共謀罪、教育基本法が先送りになったことは、国民も評価してくれるのではないか。
 「『会期延長はしないぞ』首相は30日、執務室を訪れた自民党の細田博之国会対策委員長にいきなり告げた。『6月18日の会期末までにすべての重要法案を通せませんが…』と食い下がる細田氏に、首相は言い切った。『それでいいじゃないか』(日本経済新聞2面)」。面白いやりとりである。国会運営は総理ではなく、国会対策委員長の仕事である。細田委員長自身、自分の力量をどれほどわかっていたのか。党内でも、また、党外からも細田委員長の国会運営に対する心配、力不足の声があったことを、ご本人は承知していたかどうかである。「間違いなく軽量国対委員長です」と言ってきた新聞記者の顔を想い出す。
 19日から22日まで、ビザなし交流で色丹島に行っており、質問主意書を出せなかったので、昨日は答弁書が一件もなく、何か寂しい気持ちだった。5月中までに200本の質問主意書を目標にしていたので、今日ちょうど200本目を衆議院に提出した。残された国会期間中、精一杯情報の開示、透明性の確保に向けて頑張っていこう。
 衆議院の事務局に聞くと、今まで一つの国会で一番多く質問主意書を出したのは、共産党の横田勘太郎衆議院議員の90本ちょっと、次が民主党の長妻昭議員の62本だそうだ。この数字からも、私の200本の質問主意書は、国会で質問する機会は与えられなくても、私の主張、過去の検証、何よりも国民の目線に立って行動していることを現していると自負するものである。より謙虚に、より国民の側に立って、これからも正すものは正していこう。

2006年5月30日(火)

鈴 木 宗 男

 在日米軍再編の実施方針が閣議決定されたが、日米合意の基本のみ明記されており、具体的な代替施設の建設場所は明示されていない。沖縄県との調整が残っている為だが、在日米軍再編特別措置法や財源の裏付け等、課題は山積している。国民への情報開示、情報の透明性の確保をしっかり図って進めて欲しい。何よりも沖縄県、関係市町村の理解を得ることが先決であり、よくよく協議していくことが大事である。
 政府の有識者会議で公務員1万9000人純減の最終報告を出したが、官のリストラより国会議員の定数削減、政党助成金年間約320億円の廃止を先にやるべきではないか。公務員の単なる人員、人件費の安易な削減より、国会議員自ら身を削り、そうした中で公務員にもそれなりの痛みを伴うやり方が真っ当ではないか。与党国会議員の英断を望むものである。
 民主党小沢一郎代表が昨夜釧路市で記者会見し、「新党大地」との関係について「同じ考え方で協力していこうというグループ、政党をなんら拒む理由はない」と述べて、連携を模索する考えを改めて表明した。「小沢氏は新党大地の鈴木宗男代表について『この前もお会いした』と述べ、最近接触したことも明らかにした(北海道新聞4面)」。小沢代表の考えは、北海道の政治地図を直視した現実的な判断である。私も元気の出る、自立できる北海道の為には、小異を捨てて大同に立つという気持ちで、一身を北海道にかけていきたい。

2006年5月29日(月)

鈴 木 宗 男

 9時から10時半まで札幌事務所でお客さん対応。11時35分千歳発で根室中標津空港へ。13時より、大変お世話になった釧根開発グループの松實武夫さんのお別れ会に出席。千人近い人が最後のお別れに来ていた。弔辞を読みながら、中学卒業後就職、24歳で会社を設立し、12社、400人を抱える釧根グループの総帥としての松實さんの歩みは大したものだったとしみじみ感じる。地方にも人材がいたという見本の人であった。心からご冥福を祈りたい。
 15時中標津を出発し、帯広へ向かう。広大な根釧原野から弟子屈横断道路を通り、阿寒湖畔に入り故郷足寄を通過し、高速道路で帯広に着く。約200qの道のりだったが、新緑の美しさと移りゆく景色に見とれて、3時間半、あっという間だった。
 北朝鮮に拉致された、横田めぐみさんの夫の可能性が高い韓国人拉致被害者金英男キムヨンナムさんの母親とお姉さんが来日され、横田めぐみさんのご両親と面会する姿がテレビで流れる。同じ苦労を味わっている者同志の面会は、言うに言われぬ緊張感と切なさが伝わってくる。問題解決に向け、外務官僚は何をしているのかと思いながら、一日も早い真相解明を願うものである。
 北海道は支庁制度改革に伴う支庁所在地・所管区域の再編案を、当初予定していた本年度中に決定せず、来年度に先送りする方向で調整に入った。「『議論に慎重を期すため』(道幹部)というのが表向きの理由だが、支庁廃止が予想される地域で反発が強まっていることから、道知事選など来春の統一地方選への影響を避けたいとの思惑もあるようだ(北海道新聞1面)」と書かれている。とんでもない道の考えだ。支庁改革をなぜ選挙で有権者に判断してもらわないのか。高橋官僚知事の道民不在、自己保身の姿が見えてくる。透明性の高い、道民の目線に立った行政の展開を切に望むものである。
 ロシア語通訳・小説家として活躍されていた米原万里さんが亡くなったとラジオニュースで知る。私もロシア・中央アジア等でお世話になった一人として、悲しいニュースである。年齢的にもこれからという時、米原さんご自身がどんなにか無念だったことか。心からのご冥福を祈りたい。
 飛行機の中で「スポーツニッポン」に目を通していたら、24面に昨日の日本ダービーに触れ「負け組」の星が頂点、小さな牧場から生まれたメイショウサムソンがダービーを制し、「勝ち組」社台に勝った事を牧太郎毎日新聞専門編集委員が観戦記の中で書かれている。私も「負け組」からカムバックした者として、興味深く読ませて戴いた。「生き残りよりロマン、今年のダービーは勝ち組、負け組の決戦だった。勝ち組はもちろん社台、勝ち組のアドマイヤメインはせり市で1億3900万円、フサイチジャンクは何と3億3000万円。日高は負け組だったサムソンは庭先取引で1000万円以下、生産地の金力格差は大都会以上なのだ」とズバリ指摘している。この記事に多くの人がうなずいているのではないか。頑張った者が、努力した者が栄光の座につく、真に公平、公正な社会づくりに向け、私もまた前を向いて歩いていこう。
 20時20分帯広空港発の飛行機で上京。

2006年5月28日(日)

鈴 木 宗 男

 10時札幌丘珠空港から稚内空港に向かい、11時より大変お世話になった稚内市の故西森義一会長さんの一周忌に伺う。中川一郎先生の秘書時代からご厚誼を賜り今は息子さんで社長の西森靖之さんに引き続きお世話になっている。人間関係の有難さにつくづく感謝しながらお参りさせていただく。
 14時55分稚内空港発で丘珠に戻り、17時から4月22日開催した「新党大地・鈴木宗男・第1 回北海道セミナー」の打ち上げ。事務局など、下働きをしてくださった方に集っていただき反省会をかねた会費制での懇親会。100人近い人が参加して、和気わき藹々あいあいの中で楽しい時間を過ごすことが出来た。いつもの事ながら、しっかり支えてくれる人がいて活動できるのであって、上だけ見ていてはダメだ。黒子役に徹し、表に出なくてもきちんとその役割を果たす多くの人がいてくれることが大事である。人に恵まれていると感謝しながらの今夜の会であった。
 ジャワ地震の死者が三千人を越える大被害になっている。自然の力の大きさをまざまざと感じながら、日本も地震が多いわけだからとても他人事ひとごととは思わず、出来る限りの支援を進めなくてはならない。同時に日本国内の対策も普段からきちんとやっておかなくてはいけない。備えあれば憂いなしである。

2006年5月27日(土)

鈴 木 宗 男

 7時55分羽田発で女満別空港へ。車で2時間かけて網走管内滝上町後援会野遊会出席。日本一と言われる滝上公園の芝桜が見事に咲いている。大原後援会長さんを中心に100人以上の人が参加してジンギスカンをいただく。素晴らしい天気に恵まれ、私も15年ぶりの滝上公園芝桜に心洗われる思いであった。菅原観光協会会長さんのご配慮で、ステージでご挨拶の機会も得て、会場におられた道内はもとより、本州から来ていた方々も私のところに足を運んで下さる。大いに滝上町のPRをさせてもらった。
 15時35分女満別空港発で、札幌丘珠空港へ。17時から大地塾5月例会。今回の講師は「新党大地」副代表の田中いづみさん。ご自身の経験談を熱く話す姿を見る時、彼女のやる気が伝わってくる。母子家庭の環境で種々ご苦労された今日までの歩みと思うが、明るく元気良く生きる姿は尊いものである。一層の頑張りを期待したい。
 「第4回日本・太平洋諸島フォーラム首脳会議」(太平洋・島サミット)で、日本の国連安全保障理事会常任理事国入りの支持を採択して閉幕したそうだが、昨年常任理事国入りするといった話はどこにいったのか。今支持されるより昨年の方が必要でなかったのか。アフリカ諸国でも今年になって支持を表明してくれる国はあるが、昨年その声を必要としていたのではないか。時差ボケ的話で外務省は何故昨年しっかり手を打たなかったのかと不思議に思う。「信賞必罰」でいかなければ責任の所在がはっきりせずウヤムヤになってしまう。国益の観点からも先に立つ人は出た結果をきちんと評価、判断し次につなげていくべきでないか。自己保身、ポスト至上主義では国益を損なうだけである。八方はっぽうふさがりの外交をどう考えるのか。
 サッカーワールドカップも2週間後に迫ってきた。日本代表もドイツ入りし最終調整のニュースが毎日映し出される。4年前日本で開かれた時、まさに騒動の渦中にあった。ワールドカップ日本戦のチケットは全て用意していたが、足を運ぶことは無かった。この4年間の重い時間を振り返る時、時のたつのは早いものと感じながらも日本代表には是非とも決勝トーナメントに進出して欲しいと心から願うものである。

2006年5月26日(金)

鈴 木 宗 男

 社会保険事務所による国民年金保険料の不正な免除や猶予問題が15都府県で明らかになり、対象者は7万2千人に上ると共同通信社の調べで明らかになったと報道されている。川崎厚生労働大臣は「ことの重大性は最も厳しい」(朝日新聞1面)と言っているが、川崎大臣が最高責任者である。何か他人事ひとごとみたいな言いぶり、感覚が、社会保険庁の不正常につながっているのではないか。
 平成16年、年金未納問題に端を発し、社会保険庁の数々の不祥事が表沙汰になったが、これらの反省が生かされていない。一体どういう組織なのか。厚生大臣を何回も務めた小泉首相はどう受け止めているのだろうか。ただ批判するだけでなく、大臣を含めた信賞必罰をすべきではないか。川崎大臣も、部下を更迭するだけで済む話ではない。虚偽の報告をされ、それも一度ならず二度も受け入れた側にも責任が問われている。国民は小泉流のわかりやすい判断を期待している。
 武部幹事長が記者会見で、「安倍さんは最もふさわしい一人だ」と述べたと各紙夕刊に出ている。「秋の総裁選挙の責任者たる人が、今から勝ち馬に乗ろうと受け止められる様な発言はけしからん」「何を考えているのか。自己保身ではないか」といった声が、数多く事務所に寄せられる。マスコミ関係者の中にも「レベルの低さがわかる」「この程度の見識、力量だ」と言ってくる人もいる。なるほどと思いながら、しかるべき人がしかるべきポストに就かないと、国力の低下、国益に関わるとしみじみ思いながら、国民の声なき声を大事にしようとつくづく感じる。
 明日からロシアのプリマコフさんが来日するというニュースが伝わってくる。政府・自民党、経団連関係者と面談するそうだが、この来日に関わっている人は、普段領土問題で原理原則を言っている人達だが、漏れ伝わってくる話では経済優先とも受け止められる話もあるという。間違ったメッセージを送ってはいけないし、日ロ関係に不信を招くことは国益を損なう。このプリマコフさんの来日を、十分関心を持って見守っていこう。

2006年5月25日(木)

鈴 木 宗 男

 週刊女性今週号で、美川憲一さんとの対談が載っているが、これを読んだ沢山の人から、激励の言葉や頑張って下さいと声がかかる。また、ファックスも入る。美川憲一さんのネームバリュー効果と思いながら、「鈴木さんの人柄、家族、なんといっても松山千春さんの男気(おとこぎ)、人情に感服しました」といってくれる人が圧倒的だった。人間関係の重みを感じながら、出会い、縁、巡り合わせに感謝するものである。
 先々週の週刊SPAで、「男のたしなみ」というコーナーでも私のインタビューが載せられていたが、この時も大勢の人から「鈴木さんの心が伝わってきます」「家族、松山千春さんとの関係が羨ましいです」といった声が多数寄せられた。良い仲間に感謝しながら頑張っていこう。
 週刊誌の話題が出たついでにもうひとつ、今週の週刊プレイボーイ「スペシャル ポスト小泉の通信簿」で、自民党の総裁候補について私なりの判断、考えを述べさせてもらった。これについても、官邸にいる人、政治家、民間の人から「鈴木さんの見立ては当たっている」との反応が寄せられる。まだ時間があることなので、結果はどうなるかわからないが、しっかり情報の把握に努めていこう。
 5月も下旬になり、真夏の様相である。衆議院より「6月1日から9月30日まで、地球温暖化防止対策に資するため、院内の冷房は28℃とする」「服装については次のような扱いとする」という文章が届く。いわゆるクールビズというものだが、今年はどんなスタイルの政治家の姿が写し出されるのか。クールビズよりも、国会審議の方をしっかりやっていくことが大事である。
 国民の負託に応えるためには、パフォーマンスはいらない。民主主義は手続きと中身が大事なのである。クールビズで外向けのスタイルより、私は国民向けの中身とスタイルを愚直に守っていこう。

2006年5月24日(水)

鈴 木 宗 男

 日中外相会談が1年ぶりに行われたが、まだまだ隣国との溝は埋まっていないと各紙書いている。1年以上も隣国と外相会談が出来ないというのは異常な事であった。その点から見ると、今回外相会談が行われた事は、一歩前進と評価していいのか。今後の外務官僚の努力、また新しく中国大使になった宮本雄二氏の頑張りに期待したい。
 佐藤優さんの公判に証人として出席。今回は検察側の尋問で約2時間半かかり、次回31日、もう1回証人として呼ばれることになった。私は何回でも出て、佐藤さんの国益に沿った外交官としての姿勢を、事実に基づいて話をするのみである。
 昨日の読売新聞に載っていた森前総理の佐藤さんに対する評価も証言で紹介しながら、検察官の質問に答える。北方支援事業に関し、またイスラエルのゴロデツキー先生の招請につき、私の知っていることを述べさせて頂く。
 傍聴席を見ると、東大名誉教授の和田春樹先生も来られており、また、モスクワ特派員として経験のある方の姿も見られた。外務省の現役職員も来られ、こちらは上から言われての仕方なしの仕事と見受けられたが、佐藤優さんの人柄、実績に、多くの人が高い評価をしている事がわかる。31日、正直に、しっかり証言しよう。
 1月に講談社から私が出版した『闇権力の執行人』が5刷目に入ったと連絡が入る。政治家本だと1万部売れれば話題になる話で、2万5千部以上出るという事は、注目を引いているという証か。外務省の一部幹部の不作為を知るためにも、また、なぜ日本の外交が八方ふさがりになっているのかを知る上でも、まだ手にしていない人には是非とも目を通して頂き、一人でも多くの人に読んで頂きたい。
 

2006年5月23日(火)

鈴 木 宗 男

 森前総理が22日、日本記者クラブで記者会見し、次期政権の課題について以下のように話したと記事に出ている。「『アジア外交をうまく進めていくことだ。アジア諸国にはどうして日本が(中国・韓国と)うまくやってくれないのかという思いがある』と述べ、アジア外交の改善が必要だとの認識を示した」(読売新聞2面)。各紙昨日の記者会見をそれぞれ記事にしているが、森前総理の存在感が見える。
 もう一つ注目した記事がある。読売新聞4面囲み記事で、森前首相はこの記者会見の中で次のように述べたとも書かれている。「佐藤優・元主任分析官について、『もったいない気もする。切り捨てたことは釈然としない』と述べた。森氏は、佐藤氏が対ロシア外交で優れた手腕を持っていたことを強調し、『ロシアには(佐藤氏の開いた対話の)チャンネルは要らないという印象に見えるだろう。今はプーチン大統領とのチャンネルしかない。(日本外務省の)お嬢さんのような外交が通じるのだろうか』と懸念を示した。また、小泉首相の外交実績について、『5年間で進展しなかった。(原因は)最初の外相だろう』と述べ、田中真紀子氏の起用が誤りだったと指摘した。」。森前総理の鋭い、かつ日本外交を警鐘するお話だと思う。
 外務省の中でも、森前総理に擦り寄っていく人、また、急に足繁く通う人がいると耳に入ってくるが、森前総理はきちんと人を見ることが出来る方である。私も中川一郎先生の秘書時代から森前総理を知る者として、また、ご指導を受け、イルクーツクでの首脳会談に同席させて頂いたご縁を振り返ると、森前総理の変わらざる人間味がこの記者会見から十分伝わってくる。対ロシア外交を考える時、森前総理なくして対ロ外交の前進はあり得ない。久しぶりに気持ちの良い政治家のメッセージ・シグナルに感激である。  多くの人から「ビザなし訪問ご苦労さん」と、声がかかってくる。「鈴木さんの日記で色丹島、国後島の皆さんの気持ちがよくわかりました」といった電話、ファックスが入る。私は自分が与えられた環境の中で、私なりに国益に貢献していこうと思う。

2006年5月22日(月)

鈴 木 宗 男

 7時朝食(日本時間5時)、7時半出港手続き。19日にコーワリ南クリル地区長と会った際、22日に短時間のインタビューをお願いしたいと言われ、サハリンTV、新聞「国境にて」の記者であるキセリヨフさんがスモルチコフさんに案内されて乗船。「鈴木さんのことを国後の島民は心配していましたが、カムバックされて良かったです。色丹島の皆さんも喜んでいたでしょう。色丹の皆さんも鈴木さんを心配していました。サハリンの皆さんも同じです。」と、とても温かい言葉をかけられ、感激した。今回の訪問の意義、今後の友好関係について私の想いを伝える。
 8時出港。天気も良く、無事根室港に接岸。19日のボヤ騒ぎを考えると、本当にホッとする。
 根室港に海上自衛隊の掃海艇「さくしま」がおり、表敬挨拶。「さくしま」とは平成3年7月ペルシャ湾で機雷除去の国際貢献の時、外務政務次官として激励に行ったのだ。また、平成5年7月、奥尻地震の時に救援に来てくれた。2回とも落合司令(沖縄で亡くなった太田海軍中将の息子さん)であり、巡り合わせを感じながら、第45掃海隊さくしま艇長はじめ、乗組員、自衛隊関係者にご挨拶する。
 13時半から記者会見。私は日本国民の善意である人道支援は感謝され、かつ十分島民の生活に寄与していると伝える。コーワリ南クリル地区長、セデーフアナマ村長、ミケーロフ斜古丹村長はじめ、多くの関係者の発言を紹介する。これからも医療、環境での人道支援が大事であることを強調する。特に環境面では、色丹と根室・北海道は一体の関係だ。色丹での環境破壊は根室・北海道への環境破壊につながり、水産資源に大きな影響を及ぼす。知床が世界遺産になり、将来北方領土ともあわせて世界遺産指定されることを考える時、なお環境問題は重大である。
 また、日露関係について島の皆さんはプーチン大統領の決定には従うという空気であり、現実的対応を考えている。日本の方がこの5年間、空白の日露関係でなかったかと具体的事例を挙げ、特にロシア担当の外務官僚の不作為を、例を挙げて説明した。
 15年目になるビザなし渡航だが、この節目の年に入域手続き、帰港時の税関手続き等、更なる簡素化に向け、外交協議をして欲しいものである。何よりも領土問題解決に向け、日ソ共同宣言から50年の今年、大きな歴史の扉を開いて欲しいものである。小泉首相の大英断を期待したい。
 17時半の飛行機で上京。経済界の人達との懇談会に出席。北方領土の話で盛り上がる。

2006年5月21日(日)

鈴 木 宗 男

 9時半(日本時間7時半)桟橋が使えず、(はしけ)で色丹島へ向かう。10時からギドロストイの水産加工場視察。冷蔵庫はドイツ、デンマーク、機械はアメリカ。これをみて、「取り残される日本、どうなっているのだ」という思いだ。
 11時日本人墓地お参り。きれいに整理されていた。アイヌ人のお墓もお参りし般若心経一巻あげさせていただく。アイヌ人の墓地はロシア正教墓地の中にあるとのことだが、日程の都合で行く事が出来なかった。また、ここのアイヌ人のお墓はカタカナで大勢の人の名前が書かれており、アイヌ人をまとめてお(まつ)りしているとのことで、心からのお参りをする。今回の色丹訪問の目的の一つが、アイヌ人墓地お参りでもあったので、手を合わせることが出来てよかった。
 12時から斜古丹の診療所視察。平成7年10月完成、引渡し式に出たことを想い出し感無量であった。フィシュク産婦人科の先生が訪問団に挨拶説明し、その中で、レントゲン、各種機械医薬品の援助に感謝を申し述べ、私の名前まで出していただき感謝する。人道支援の重みをしみじみと感じた次第だ。
 14時半から島民との対話集会、日本ロシア文化紹介。日本側団員の1人が「北方領土についてロシアではどんな教育をしているのか」という質問をしたのに対し、セデーフ村長は「18世紀に入ってコサック兵がカムチャッカからクリルに南下、その当時の資料で確認できる唯一の民族はアイヌであった。アイヌは当時ロシアと商取引していたがコサック兵との衝突もあった」とアイヌの先住を話され私は納得した。北海道にも言えることで、歴史の事実に基づいて北方領土問題を文化の面で国際的スタンダードの観点からも話を進めることが出来ると考えた次第だ。島民のドダイエさんが「友好が深まったのは1994年10月の地震後のことで、人道支援、食料のみならず、必要なものを支援してくれ、学校、発電所や診療所に鈴木宗男さんのご尽力があった」といってくれる。金額まであげての説明で、島民の理解を得る話であった。約3時間の集会であったが島民の日本への関心、又、日露関係についての情報は十分に入っており、やはり、お互いの信頼関係が重要だとつくづく思う。私も「日露の最高首脳が過去の発言、声明、条約を守り法と正義に基づいて未来志向で解決すると約束している。外交は相手があることであり、お互いの名誉と尊厳を尊重しながら現実的解決を図ることしかない」と過去の様々な首脳会談の例を出して話をする。出席者からブーイング・反発の雰囲気もなく、セデーフ アナマ村長、ミケーロフ斜古丹村長も耳を傾けてくれ、それなりに真意は理解されたと思う。
 17時半から夕食交流会。ここでもミケーロフ斜古丹村長は乾杯の挨拶の中で「診療所はじめ各種支援に鈴木宗男さんのお力添えがあった」と感謝してくれる。出席者の中に息子さんを北海道大学で治療し見舞いに行ったアレクサンドル・イワノビッチさんご夫妻が来ておられ、心のこもったお礼のご挨拶をいただく。昨日、今日と色丹島の人情を十分感じ、少しでもお役に立てたことを嬉しく思うものである。
 20時船に戻り、古釜布に向け20時50分出発したが、無事予定通りの日程をこなすことが出来た。また、所期の目的を達成できてよかった。日露の関係者に感謝したい。島民の率直な、正直な発言を外務官僚はどう受け止めるのか。今回の私の訪問についても外務官僚がいろいろな雑音を発していたことが、内閣府からも外務省関係者からも入っていた。今回の同行者も居心地はどうだったのか、同情するものである。
 国民に選ばれた国会議員として、私は信念を持って歩いていきたい。正直者が馬鹿をみないためにも、私は頑張らなければならない。6年ぶりにビザなし交流に参加し、新しいエネルギーを得た思いである。

2006年5月20日(土)

鈴 木 宗 男

 色丹島は雨で、風も出てきて心配したが、昼過ぎから太陽が顔を出す良い天気になる。
 7時半(日本時間5時半、時差2時間)朝食。9時から事務打ち合わせがあり、10時に上陸。いつも世話をしてくれるダネーリアさんが出迎えてくれ、「鈴木先生を心配していました」と言ってくれる。
 10時半、セドイフ・レフ・コンスタンチノビッチ アナマ村長との対面式。セドイフ村長とも旧知の仲で、平成7年、私が日本の国会議員として初めて色丹島を訪ねた時、水産会社オストロブロイの社長さんだった。今、村長として活躍されているが、11年前からリーダーとしての素養はあったと感じる。
 アナマ小学校へ行き、ロシア語講習。この学校も平成6年(1994年)10月の北海道東方沖地震による倒壊で、日本が平成7年に建てたものである。その実現に一肌脱いだのが私だった。
 12時からセドイフ村長宅でホームビジットさせて戴いたが、セドイフ村長から「2002年鈴木宗男先生が事件に巻き込まれ、様々なマスコミから島の人に電話取材が入ったが、島の中で誰一人鈴木先生を悪く言う人はいなかった。それは、鈴木先生の島への貢献をよく理解し、知っていたからだ。鈴木先生、必ず時が解決します。偉大な人は遠くから見ていてもわかります。」と話して下さる。嬉しく思いながら、島の人の真心に感謝するものである。
 また、島の掲示板には「島が大変苦しい時様々なことをしてくれた鈴木宗男先生が、今年最初のビザなし訪問で来ます。ディーゼル発電所、学校、診療所を作ってくれました。」と紙が貼られていた。改めて「困った時の友人が真の友人」という言葉は、国境を、人種を越えて生きているものだと感じた次第である。
 ディーゼル発電所も視察したが、立派に機能している。1999年(平成11年)6月の設置で、電力の安定供給を可能にし、島民の生活に大きな寄与をしていると、村長はじめ多くの人が評価してくれる。人道支援をけしからんと言った人達に、是非とも島民の声を聞いて欲しいものである。
 6年ぶりの北方四島への訪問であるが、心が通い合う一日であった。島の皆さんの想いを知り、満足の一日だった。

2006年5月19日(金)

鈴 木 宗 男

 ビザなし交流第一陣として9時半根室港出発。藤原根室市長、北海道根室支庁長、私の根室後援会の中林会長はじめ後援会有志、山下商工会議所副会頭、遠藤根室市議会議員等、大勢の見送りを受ける。マスコミのインタビューもあり、久しぶりのビザなし交流に若干の緊張感も湧いてくる。薄曇り空の肌寒い今日の根室だったが、今日の天気は根室が現在おかれている状況と思いながら、現実的解決をすることが根室はもとより日本の国益に資するとつくづく感じ、見送りの皆さんに手を振る。
 出港1時間10分で中間点通過。船員がロシア国旗を揚げる。その姿を写真に撮りながら、平成3年10月14日、日ソ外相往復書簡で「領土問題の解決を含む日ソ間の平和条約締結問題が解決されるまでの間、相互理解の増進を図り、もってその様な問題の解決に寄与することを目的として、かつ、いずれの一方の側の法的立場を害するものとみなしてはならないとの共通の理解の下に、我が国国民の北方領土への訪問を旅券、査証なしで行うこと等」の文書が頭を駆けめぐる。当時私は外務政務次官であった。
 13時45分、予定より早く古釜布(ふるかまっぷ)沖に到着。14時45分から国境警備隊の入域手続きが始まる。その後コーワリ南クリル地区長、スモルチコフ国後日本センター長との会談となる。二人とも旧知の仲で、私の訪問をとても喜んでくれる。コーワリ地区長から「日本政府、日本国民並びに鈴木先生からの援助である学校、桟橋、ディーゼル発電に、南クリルを代表して感謝申し上げる。それらの施設は十分島民の為に生かされている。」と冒頭発言があった。白崎団長、外務省の渡邉修介さんも同席されていたので、コーワリ地区長の思いは伝わったことだろう。
 私から「友好の家はどうなっているか」と尋ねたところ、コーワリ地区長から「いい状態で維持している。去年も火事で5家族が焼け出されたが、友好の家に避難することができた。ビザなし交流にも使われている。」との返事であった。また、「ロシア政府が7年間で1000億円をクリル諸島に予算措置を講じると言ったことは動いているのか」と聞いたところ、コーワリ地区長は「南クリル地区の検案、サハリン州の検案をモスクワに出している。社会経済発展計画は検討中であり、いつ決まるかわからない。」との答えであった。更に「南クリルに外国企業が進出しているのか」と尋ねたのに対し、「中国、韓国、ドイツはじめヨーロッパへお金は動いている。日本の企業も入って欲しい」と言われた。久しぶりにコーワリ地区長、スモルチコフ日本センター長に会って、人間関係の大事さを痛感した次第である。
 16時半出発し、アナマ沖に向かう。心配された天気だが、雨も降らず波も穏やかで、まずは順調なスタートであったが、17時15分頃船室からボヤ騒ぎ。私の隣の部屋なので驚いたが、原因は漏電で、エンジンに問題はないとのこと、予定通りアナマに向かう。この辺の海水は5℃、ゾッとしながら安全航行を祈るのみ。

2006年5月18日(木)

鈴 木 宗 男

 7時半羽田発で千歳へ。10時から北海道ウタリ協会平成18年度総会に出席。今年はウタリ協会60周年の節目の年でもあり、加藤理事長のご挨拶も力が入っていた。私も故萱野茂さんのご功績に触れながら、アイヌ民族の権利の確立に向け、新党大地の代表として頑張っていく決意を披瀝ひれきする。また、7件のアイヌ民族に関する質問主意書を提出し、それなりの答えを引き出していることを紹介させて頂く。顔見知りの人も多く、仲間内の感じを持ちながらの今日の総会であった。今日の札幌は気温が26度まで上がり、真夏の様相である。
 13時半の丘珠発で中標津に向かい、15時からの北方四島交流訪問結団式に遅れて出席。平成7年、日本の国会議員として戦後初めて北方四島色丹島に行ったことを想い出し、その後日本の閣僚として初めて平成10年6月島を訪れ、毎年の様に四島を訪ねて、今回は6年ぶりの訪問となる。色丹島がどう変わったのか、サハリン州・ロシア政府の四島への政策展開はどうなっているか、よく見てきたい。
 17時から根室花咲港で中型・小型サケマス船の出漁見送りをする。約20年ぶりの出漁見送りだが、岸壁は大勢の関係者で一杯だった。久々の活気を肌で感じながら、政治の果たすべき役割、重さを痛感する。ロシア側許可証の発給が遅れ、予定より小型船は5日、中型船は3日遅れとなった。色丹・歯舞の二島が返還されれば、サケマス交渉は必要ないのである。200海里の価値を、国民等しく考えなくてはならない。小型サケマスの許可証授与式での挨拶でも、私はこの二島返還の意義、二島が還って次の二島返還があることを言わせてもらった。空想的解決より現実的解決に向けてのかじを是非ともきって欲しいものである。日ソ共同宣言から今年で半世紀、大きな決断を元島民、根室市、北方領土周辺町村は心待ちにしていることを強調したい。

2006年5月17日(水)

鈴 木 宗 男

 民団と総連の歴史的和解が大きなニュースになっている。同じ民族でありながら北と南に分断され、反目の時代に終止符を打ったことになる。韓国の太陽政策の流れが功を奏したのか、民族団結という大所高所の判断にたったのか、とにかく新しい歴史の1ページを切り開いたことになった。今後の進展を注意深く見守っていきたい。
 耐震強度偽装事件で、ヒューザの小島社長が逮捕された。予期されたことではあるが、この事件は、小島社長をはじめ民間人だけの責任であろうか。規制緩和という大義名分で、官、行政側が本来の果たすべき役割をしなかったツケがでたのではないか。民間人のみ責任をかぶせ、行政側が誰も責任を問われないのは、公平でないと思うのだが。国民みなさんは、どう考えるだろうか。こうした流れを私は危惧するものである。
 午後に民間団体の勉強会に、講師として呼ばれ1時間半ほど講演する。上海総領事館員自殺問題、北方領土、竹島問題、八方塞の外交について、持論を展開する。出席者の皆さんは、理解してくれた様子であり、有り難かった。これからも、国民の目線にたって情報を発信していきたい。
 夜は政治家との会合。秋に向けての意見交換をする。これからどんなドラマが展開されるのか、それなりにアンテナをたてて情報に遅れを取らないよう、しっかり対処していきたい。
 ヤンキースの松井選手が手術後初の記者会見をしているが、一にも二にも、一日も早く完治してグランドに立ってほしいものである。

2006年5月16日(火)

鈴 木 宗 男

 昨夜のTVニュースに、何回となく横田めぐみさんのお父さんが韓国から最愛のめぐみさんに呼びかける場面が流され、とっても胸の痛む思いであった。親の愛情の計り知れない重み、責任を感じながら、一日も早い解決を祈らずにはいられない。相手がある限り、重層的、多面的にさまざまな手立てを考えていくべきである。強硬にいっても進まない。又、弱気に遠慮がちになっても相手に足元を見られるだけだ。外務官僚のまさに腕の見せどころ、智恵の出しどころではないか。私に使ったエネルギーを、是非とも北朝鮮に生かして欲しいものである。
 今、国民が外務官僚に求めているのは正直さと説明責任である。そして結果を出して欲しいと願っているのだ。この事をしっかり踏まえて、対北交渉にあたって欲しい。
 質問主意書に対して、5件答弁書が返ってくる。在上海総領事館の遺書に関する3回目質問主意書で;

 1.第二回答弁書において、政府は、「御指摘の遺書については、平成16年5月6日の公電により外務本省に報告され、同日中に、当時の川口順子外務大臣及び竹内行夫事務次官に報告された。」と答弁しているが、このことは川口順子外務大臣及び竹内行夫事務次官が平成16年5月6日に中華人民共和国上海市で自殺した在上海総領事館員(以下、「館員」という。)の遺書の内容を知った上で、「館員」の自殺の事実について、あえて内閣総理大臣官邸に報告しないという決断をしたと理解してよいか。
 2.「館員」の自殺の事実について内閣総理大臣官邸に報告しないと決定した外務省の最高責任者は誰か。
 3.平成13年4月以降に内閣官房長官並びに内閣官房副長官に就いた者(職を退いた者を含む)に対して、外務省が「館員」の自殺について情報を提供した事実があるか。
 と質問したのに対し、次のような答えである。

 1及び2について
 御指摘の事実について、外務省から内閣総理大臣官邸(以下、「官邸」という。)に対して報告しないことについては、外務省の担当部局が判断したものである。当該担当部局の長は、大臣官房長及びアジア大洋州局長である。
 3について
 御指摘の「情報」が具体的に意味するところが必ずしも明らかではなく、一概にお答えすることは困難であるが、平成17年12月27日以前に、外務省から御指摘の者に対し、同日に外務省から官邸に対して行われた報告と同様の報告が行われていたことは、確認されていない。
 答弁書の内容は以上である。

 第2回答弁書で、平成16年5月6日の公電で当時の川口順子外務大臣、竹内行夫事務次官に報告されたと答弁しておきながら、それならば当時、川口大臣、竹内事務次官がどんな判断をしたのか触れていない。国益に関わる、特に人の命に関わった出来事を、北島信一大臣官房長及び藪中三十二アジア大洋州局長が判断したと言うが、名前を明らかにしたことは多とするが、亡くなった人の気持ちをどこまで考えて上司にあげないと判断したのか、国民に説明責任を果たすべきではないのか。国民の皆様にも、この上海総領事館員自殺問題に大きな関心を持ってもらいたい。再びこのような不幸な出来事が起きないためにも、ここは外務官僚の対応を検証していきたい。
 教育基本法改正案の質疑が衆議院本会議でスタートした。時代にあった我が国の教育の基本を確立するため、教育基本法の全部を改正すると提出されているが、この法案を審議する国会議員自身がいかほど心豊かであるかどうか。自分だけ良ければ良いといった自己保身、自己中心的な考え方の政治家が多いのではないか。子供は「国の宝」であると思いながら、まずは政治家自身の教育が必要でないかとしみじみ思いながら議論を聞いていた。委員会での濃密な議論を期待したい。

2006年5月15日(月)

鈴 木 宗 男

 読売新聞1面トップに、在上海日本国総領事館の館員が2004年5月に自殺した問題に関して、総領事館側が当時中国警察当局に「自殺の動機は仕事の重圧」と説明する書類に署名していたことが明らかになったと大々的に報じられている。「中国側はこの署名文書を『自殺事件と中国政府は無関係』と『脅迫』の事実を否定する根拠としており、日中両政府の主張が平行線をたどる最大の要因となっている」と書かれている。  私は、1月20日、2月6日、2月16日、2月17日、2月28日、3月31日、4月3日、4月14日、4月28日にわたり、計10件の上海総領事館員の自殺問題に関する、またそれに関連する質問主意書を出してきたが、その度に真正面から受け止めた答弁はなされていなかった。今日の読売新聞の記事は、外務省がいかに正直でないかが裏付けられたものである。私は再三にわたり、2004年5月6日に総領事館員が自殺をした時、日本側は中国に対してどんな対応をしたのかと聞いてきたが、核心に触れる答えはなかった。  私は今日、上海総領事館員自殺問題に関して11件目の質問主意書を提出した。次はしっかりした答弁がなされることを切に期待したい。同時に、閣議決定を要する質問主意書に、閣議を軽視し閣僚をあざむく外務官僚の姿勢はこれでよいのかと、国民の皆様に問題提起をしていきたい。自殺された電信官の無念を晴らす上でも、私自身腹を据えてやっていきたい。

2006年5月14日(日)

鈴 木 宗 男

 念願であった曹洞宗大本山 永平寺をお参りする。私自身だん信徒として、早くに永平寺に行くことを望んでいたが、なかなか時間がとれなかった。今回実現できて良かった。
 森監院にお出迎え頂き、傘松閣さんしょうかく僧堂そうどう仏殿ぶつでん承陽殿しょうようでん法堂はっとう大庫院だいくいんをご案内頂き、世界一といってもいい修行僧育成の永平寺の歴史に触れることができた。朝1時半に起床しての一日の修行の始まり等、大変厳しい日課を聞く時、改めて坐禅修行の重さ、尊さ、凄さを知らされた思いである。新緑が映え、心洗われた一日である。
 先月は吉野の金峯山寺をお参りし、山伏の修行の大変さを教えられたが、月に一回、名刹めいさつを訪れることは勉強にもなるし、精神的落ち着きにもなる。今後とも時間をとって続けていきたい。
 毎日新聞1面に、自殺者が8年連続3万人以上となることが考えられることを受け、超党派の議員で自殺対策の基本法を策定する動きであると書いてあるが、私は昨年からも、自殺が多いのは政治の責任であると言ってきた。遅きに失したと思いながらも、何とかしたいと気がついたことは評価したい。努力した者が、頑張った者が正当に評価される世の中に、挫折や失望した人に、希望を与えられる社会にしなくてはいけない。私は鈴木宗男の生き様をしっかり訴えて、人生失敗した人に「鈴木宗男と比べたら、俺達は頑張れる。生きる勇気が湧いてくる」と言わしめるよう、私は前を向いて生きていく。

2006年5月13日(土)

鈴 木 宗 男

 9時から札幌の後援者の告別式に参列。11時から江別市で、中川一郎先生時代から永年に渡り大変お世話になった故野村昭松様の一周忌法要。多くのゆかりのある皆さんがお参りされる。野村会頭が私に対する最後の言葉で「鈴木先生は北海道にとって必要な先生」と言ってくれた事を想い出す。あれは昨年5月1日、お見舞いに伺った時のお話だった。野村昭松様のご冥福を祈りながら、テル夫人、野村直人院長先生がしっかりと野村昭松さんのご遺志を受け継いでいる姿に、感謝と感激で一杯である。
 14時半の千歳発で羽田へ。更に小松に飛び、19時から福井関係者の集まりに出席。一日があっという間に過ぎてしまった。
 日本遺族会会長の古賀誠先生が、A級戦犯分祀の検討を靖国神社に促す様、6月にも政策提言すると新聞に載っている。日本遺族会の会長の話であり、靖国神社側がどう対応するのか大きな関心を持って見守りたい。戦没者でない一部の英霊を分祠することも検討の対象と言っていることは、思い切った問題提起である。双方納得のいく議論の中で、国際社会からも理解を得られる結論を早く出して欲しいと期待したい。
 「公務員純減で省庁回答 目標届かず」(朝日新聞4面)という記事があり、注意深く拝見する。小さな政府を小泉政権が進めているが、公務員の数を減らすだけが小さな政府だろうか。私は「効率的な政府」をつくるべきだと考える。治安、教育、防衛、外交など、国民にとって安全、安心の面で必要な所は削減すべきではない。逆に治安の悪さを考えるならば、増やすべきである。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」では困る。あれほど騒いだ耐震強度偽装問題も、規制緩和の行き過ぎがあったのではないか。民間に委ねた結果、チェック機能が果たされなかった。監督する立場にある役人は、何をしていたのか。この事を検証するのも、大きな政治の仕事ではないだろうか。一つの役所をターゲットにして「削減削減」の大合唱では、公平、公正ではない。長期的視野に立って「効率的な政府」をつくって欲しいと願うものだ。
 ヤンキースの松井秀喜選手が左手首を骨折したというニュースに驚く。前人未踏の全イニングフル出場の大記録に挑戦していただけに、松井選手ご本人の無念さは計り知れないだろう。沢山の夢や希望を与えてくれた松井選手に一日も早く全快して、次の目標に向かって頑張って戴きたい。
 読売新聞2面、毎日新聞2面、日本経済新聞2面に、昨日受け取った竹島問題に関する質問主意書の答弁書の事が書かれている。「外務省は広報用冊子『われらの北方領土』を作成、配布しているが、我が国固有の領土である竹島に関しても、同様の広報用冊子を作成、配布することが適当と思料するが、政府の見解如何。」と質問しても、全く答えていない。問題を本当に解決しようという気持ちが伝わってこない。裂帛(れっぱく)の気合でこの問題に取り組んでもらう様、私は更に世論喚起をしていきたい。
 12日付朝日新聞の北海道版に、私のビザなし交流での北方四島訪問に対して、外務省の幹部が「目的はよくわからないが、今更何ができるわけでもない」と話していると書かれている。私の所に「外務官僚も随分偉くなったものだ」「ウソつきに良い外交はできない。国民の代表たる国会議員を軽く見るなと、鈴木先生、国益を損なう外務官僚に厳しく対処しなさい」と言った声が、北海道にいると沢山の人から言われる。後醍醐天皇陵もお参りしたので、ここはしっかりと胸に刻んで対応していこう。

2006年5月12日(金)

鈴 木 宗 男

 6時半羽田発で千歳へ。日高管内平取町に向かい、10時からアイヌ民族として初の国会議員になった故萱野茂さんの町葬に出席。全道から関係者が最後のお別れに来ていた。
 萱野さんが国会に出た時、アイヌ新法の問題があり、私は当時自民党のアイヌ新法小委員会の委員長として、この法案をまとめあげた経緯がある。昨年の衆議院選挙で、新党大地はアイヌ民族の多原香里さんを北海道比例区に私の次に名簿登載したが、新党大地はアイヌ民族の権利の確立を(うた)っており、萱野さんの告別式に参列し、巡り合わせを感じながら、アイヌ民族の思いを受け止め、また、萱野先生の遺志を少しでも受け継いでいきたいと誓うものである。
 苫小牧市に行き、後援者の挨拶廻りをして、18時から伊達市でのお世話になった方のお通夜に参列。先週から今週にかけ、ご支持賜った方が多数亡くなったが、世の無常を感じるものである。
 質問主意書に対する答弁書が8通返ってきた。その中で竹島問題に関する質問に対し、「大韓民国による竹島の占拠は不法占拠であり、政府は大韓民国政府に対して、累次にわたり抗議を行うとともに、竹島の領有権に関する我が国の立場を申し入れている。」と答弁しているが、言葉の遊びではないか。具体的に問題解決に向けてテーブルにつき、どんな話し合いをしたのか。ただ抗議しただけであって、姿、形になった行動をして来たであろうか。この事だけでも、外交がないことは明らかである。
 北方領土はロシアも領土問題を認め、法と正義に基づいて話し合いで解決することを確認している。竹島問題は、日本側の抗議に対して韓国側は全く問題外の扱いではないか。竹島問題をおろそかにしてきた外務官僚の責任は重大であり、国益を毀損(きそん)していると言いたい。NHKニュースも私の質問主意書を取りあげていたので、少しでも国民の関心事になればと考えている。
 他の7件についても、正面から答えていない。衆議院のホームページを見てもらえればおわかり戴けるので、是非ともアクセスして欲しい。今日も質問主意書を提出し、今国会177件になった。今月中に200件まで到達できそうだ。これからも国民の皆様へ情報を開示し、情報の透明性を確保できる様、頑張りたい。

2006年5月11日(木)

鈴 木 宗 男

 11時から在京ロシア大使館で日露友好に尽力した方の表彰セレモニーに出席。永年にわたり、日露両国の友好に多大な貢献をされた4人に心から敬意を表するものである。
 本会議に出席しその後、新聞社、雑誌社の取材、講演依頼、山梨、愛知、千葉の方々とお客さんも多かった。17時から、日本テレビ、ダウンタウンDX収録。数字で見る芸能界、視聴者は見た、スターのぞき見ランキングのテーマで2時間かかる。6月8日、木曜日22時から22時54分までの放送なので、時間のある方は見ていただきたい。
 テレビ収録を終えてから、小渕恵三先生を偲び、小渕優子先生を育てる会に駆けつける。会は終わっていたが、小渕元総理の奥様、息子さんと娘さんにご挨拶することができてよかった。
 朝刊各紙に視察先のグルジアで在露外交官研修生2人が強盗被害と出ている。語学研修のため、ロシア日本大使館に所属している研修生が、なぜグルジアに行っていたのか、大使館は氏名や年齢について本人の意向、プライバシーのため明らかに出来ないと言っているが、公の職にあり、事故にあったのならそれなりに国民に説明する義務があるのではないのか。こうした外務官僚の姿勢は、国民の理解を得れるものではない。
 普天間飛行場移設問題で額賀防衛庁長官と稲嶺沖縄知事が政府案を基本に合意したとニュースになっているが大きな前進に関係者は安堵していることだろう。稲嶺知事も大変な決断をされたことであり、政府は更に関係自治体に対して十分な配慮をして欲しいものだ。小渕先生を偲ぶ会の日に、合意したのも何かのめぐり合せか。沖縄に大きな関心をもっていた小渕元首相の目に見えない力が働いたものと私は考えるものである。

2006年5月10日(水)

鈴 木 宗 男

 10時半から1時間半講演。民間会社からの依頼だったが、皆さん良く耳を傾けてくれる気持ちの良い講演だった。
 13時から在京の大使と昼食会。アジア、中東情勢、9月の自民党総裁選挙等、多岐に渡り意見交換する。外国人の義理堅さを感じながら、大いに勉強になった昼食会である。
 16時から弁護士会館で講演。弁護士有志の集まりに呼ばれ、私の事件の認識、流れ、検察の対応等、裁判で明らかになっていることを話す。
 18時から「ナイロビの蜂」チャリティ試写会トークショーに出席。ケニアを舞台に、英国の外交官夫妻の絆、アフリカに対する人間愛をうたったアカデミー賞受賞作品だが、私も前もって試写して感動したが、この映画をきっかけに多くの日本人がアフリカに目を向け、アフリカに対する理解が深まることを期待したい。同時に、私はこれからもアフリカに対し、私の与えられた環境で、これからも出来ることをやっていこう。マスコミ関係者も大勢来ており、この映画の関心の高さがうかがわれる。
 夜のニュースで松野頼三先生が亡くなられたことを知る。様々な修羅場を経験された、寝業師とも言うべき権謀けんぼう術数じゅつすうけた最後の政治家と言って良いだろう。時の権力に擦り寄る独特な生き方は、自己保身、ポストを得る意味では大変参考になる生き方をされたのかもしれない。政局の節目節目にその名が出るだけでも、大した政治家であったことは事実である。心からご冥福をお祈りしたい。

2006年5月9日(火)

鈴 木 宗 男

 5月19日から、今年最初のビザなし交流で北方四島、色丹島を訪問する機会を得る。振り返ると、平成3年4月、当時のゴルバチョフ大統領が来日された際ビザなし交流の話が出され、その時私は外務政務次官であった。平成7年ビザなし交流調印5周年にあたり、国会議員が参加できる様外務省に働きかけた。その時私は衆議院の沖縄・北方特別委員長であり、6月、戦後日本の国会議員として最初に四島、色丹島に足を踏み入れたのである。平成10年6月、閣僚として初めて四島を訪問し、国後島と択捉島を廻った。私にとってこのビザなし訪問は大きな意味を持つものであった。
 その後、内閣官房副長官として、また自民党の総務局長として、平成7年の訪問以来平成13年まで、毎年北方四島を訪ねたものである。5年ぶりの今回の訪問を、有難く、嬉しく思うものである。
 島がどの様に変化しているか、まず現状を良く把握したい。入域手続き等、北方領土交渉において我が国の立場を毀損する様な事はないか、国民の税金を使って設置した診療所、ディーゼル発電所はきちんと生かされているか、島民の日本への関心、感謝の気持ちはどうか、私なりによく見て来たい。また、アイヌ人、日本人の墓地にもお参りしたい。
 こうしたことを考えると嫌がる組織もあるかと思いながらも、私は国民から選ばれた国会議員であるので、国民への情報開示、情報の透明性確保をしっかり図って参るのが大きな仕事である。久しぶりの四島訪問を、今から心待ちにしたい。
 1日中議員会館で仕事。連休明けの本会議はなんとなく国会が動いているという気がして、休むことよりは働くことの大事さが伝わってきた思いだ。

2006年5月8日(月)

鈴 木 宗 男

 釧路空港から東京に戻ろうとしていたら電話が入り、中標津町の松實武夫会長さんが亡くなったとの知らせ。あわてて航空券をキャンセルし、車で中標津に向かい、弔問。人生80年の今日、67歳での旅立ちに、世の無常を恨みつつ、大変お世話になったご厚情の数々に心から感謝申し上げ、お参りする。
 13時45分中標津空港から上京。北海道にもやっと桜の開花宣言が出て、めっきり春らしくなる。
 トリノオリンピック金メダリストの荒川静香選手が記者会見し、プロ転向を発表した事が大きなニュースになっている。満足感溢れる、晴れ晴れとした輝く笑顔が印象的である。「競技生活を終えることについて『寂しさはないか』と問われたが、『やり残したことはなく、寂しさはない』。その上でプロに転向する心境について、荒川選手は『小学校一年生の様なワクワクした気持ち』と期待をにじませた。」(読売新聞35面)。歴史的偉業を打ち立てた人だからこそ言える立派な答えに、さすがとうなずきながら、同時にさわやかさが伝わってくる。胸に響く会見だった。今後のご活躍を見守りたい。
 小沢一郎氏が民主党代表に就任してから1ヶ月経ち、この間の流れを各紙取りあげている。産経新聞3面に、政党支持率は民主党28.8%、自民党支持率は28%と出ている。永田メール問題では民主党の支持率が急落したが、小沢代表でよみがえる。政治に緊張感が戻ってきたことは良いことである。内閣支持率も、産経新聞では不支持が46.4%、支持が45.4%と、不支持が上回ったという数字が出ており、小泉首相も有終の美を飾る為にも、より緊張感を持って当たらざるを得ないであろう。終盤国会が楽しみになってきた。私も国民の、北海道民の思いをしっかり受け止めて、更に頑張っていこう。
 アイヌ民族の象徴的存在であった萱野茂先生が6日亡くなり、日が経つにつれ萱野先生の大きさが伝わってくる。アイヌ民族初の国会議員としてアイヌ新法制定に、アイヌ文化伝承に尽くされた数々のご功績は、永く永く語り継がれることであろう。平成9年5月、私もアイヌ新法実現に関わった者として、萱野先生抜きにして語れないものがある。新党大地は地域政党(リージョナルパーティー)としてアイヌ民族の権利の確立を(うた)っており、その実現に向け、萱野先生のご遺志を受け止めて参りたい。アイヌ民族の先住権を確立し、多民族、多文化社会の基盤を整える様努力していくことを、萱野先生に誓うものである。

2006年5月7日(日)

鈴 木 宗 男

 中標津で葬儀告別式に参列する。その後釧路事務所に入りお客さんと面会。日程打ち合わせ。
 釧路管内釧路町の仙鳳趾せんぼうし昆布森こんぶもり地区で懇談会。離岸堤をつくって欲しい、カサあげもして欲しい、漁業の安全、安心を守って欲しい、原産地表示をきちんとやって戴きたい等々、要請を受ける。こうした身近な問題を解決することも政治の責任である。私は地域密着ふれあいの中で政治の実践をしていきたい。
 麻生外相がリトアニアで杉原千畝氏の記念館を訪問したことがTV、新聞で報じられている。「外務省の先輩としてこうした人が評価されていることを誇りに思わなければいけない」と麻生外相は語っているが、この麻生外相の言葉を私は感慨深く受け止めたい。
 平成3年10月、当時、外務政務次官であった私はリトアニアに日本と51年ぶりの外交関係樹立の政府特使として訪問する際、杉原千畝さんの奥さん、ご長男夫妻を飯倉公館に招いて外務省のそれまでの姿勢を謝罪し、名誉回復したが、その後平成12年8月4日、衆議院外務委員会で河野外相に杉原さんの功績を称えて形として残るものをつくるべきでないかと質問し、10月10日、外務省の資料館に杉原プレートをつくった経緯がある。
 外務省は杉原さんの名誉回復は必要ないという考えだったが、世界が杉原さんを評価している時、何故外務省が素晴らしい先輩がいたことを誇りに思わないのかと、3日かけて官房長を説得したことを克明に覚えている。
こうしたいきさつを知るものとして今回の麻生外相の訪問は本当によかったと誰よりも天国の杉原さんがどんなにか満足していることだろうと思うと胸が熱くなるものである。
 あらためて麻生外相の杉原記念館訪問を評価しながら、同時に麻生外相の杉原さんを称えた言葉を平成3年から12年にかけての外務官僚はどう受け止めるのだろうか。歴史の検証の意味からも外務官僚の杉原千畝さんに対する対応、見解をしっかり総括してほしい。
私は杉原さんの名誉回復を提言し、実行したものとして今回の麻生外相の発言を心から嬉しく思うものである。

2006年5月6日(土)

鈴 木 宗 男

 「観測衛星『だいち』軍事利用恐れ、文科省が指針策定へ 地形データ公開に制限」(5月5日東京新聞3面)と出ている。1月の打ち上げ成功には拍手喝采した。新党「大地」と「だいち」。漢字とひらがなの違いはあるが、大地だいちである。3方向から撮影した地表のデータから、2.5メートル四方ごとに標高を誤差3−5メートルの精度でとらえ、精密な立体地図を作ることができる(東京新聞3面)。
 軍事的に観測データが使われることを心配する話だが、このことからして日本の技術もなかなかのものだと自信を持って、更に科学技術の向上に努めて欲しいものである。同時に、「だいち」がしっかり役割を果たすことを期待したい。
 韓国政府は竹島に今年から5年間で約41億円を投入し、更に竹島の実行支配を強化することを決めたそうだが、日本は外交ルートを通じて、韓国政府に正式に抗議したと言うが、どんな言いぶりで、何について抗議をしたのか、国民に説明すべきではないか。後手後手に回ってはいないか。竹島が日本の領土と言う以上、どうしたら問題解決できるのか、きちんとしたわかりやすい対応ぶりを国民に示してほしいものである。
 「一般職員こそ狙われる 外務省情報工作対策で警鐘」外務省が上海総領事館員の自殺問題を受けて、職員向けに作成した情報工作対策の研修資料が4日、明らかになった(北海道新聞3面)。外務省に入る人達は外交の何たるかを知り、希望して入省したものと考えていたが、この記事を読みながら、善意に立って判断してはいけないのだと気がつく。それにしても、ここまで手取り足取り指導しないといけないのかと思うと、間違いなく基礎体力が落ちていると実感する。八方ふさがりの外交と言われるゆえんであろう。飲酒運転で人を殺しても停職1ヶ月などという甘い処分で済まされる一握りのキャリア外務官僚が国益を損ねているのであって、真面目に下働きしている一般職にまで矛先をむけるのは正しい判断だろうか。そもそも自殺された上海総領事館の電信官を助けられなかった組織は、一体どんな組織なのか。このことの説明を先にする義務があるのではないだろうか。
 新聞各紙は休刊日である。「新聞は談合問題については熱心にやっているが、新聞社が右ならえで休むのも談合ではないか。どうなっているんだ」という厳しい電話が入ってくる。「聖域なき規制緩和と言いながら、新聞は別なのか」といった声も寄せられた。私の事務所ではなく、各新聞社や政府に言って戴きたいと思いながら、こうした国民の声を承るのも政治家の責務であり、丁重に対応する。声なき声、国民の思いを大事にしながら、私は歩んでいきたい。

2006年5月5日(金)

鈴 木 宗 男

 こどもの日にふさわしい五月晴れ。子供は宝だと思いながら、これほど自然の恵み、モノ豊かな日本が何故少子化なのかと自問自答する。私は3人子供をつくったので大人としての役割は果たしたと思いながら、若い前途ある人に国家の繁栄と将来に責任を持って欲しいとお願いしたい。私が子供の頃よく貧乏人の子沢山(こだくさん)という言葉が耳に入ったが、今は死語となっている。その貧乏人と言われた家では家族仲良く皆、目が輝いていた姿を想い出す。生きる喜び、家族の絆が伝わってきたものだ。こどもの日、あらためて生かされていることに感謝しながら、家族5人元気で過ごせることに何よりの幸せと感じるものである。
 麻生外相がワシントンでの講演で、質問に答えて「小泉首相は自民党をぶっ壊すという名の下に既得権益を壊したが、あとに建てる新しい家のデザインは示さなかった。」と小泉純一郎首相の構造改革路線を批判した(毎日新聞2面)と出ているが、麻生外相も秋を見据えての発言か。「今、小泉首相の政策に触れるならば昨年郵政民営化法案をつくる際、総務省の自分の部下である局長2人が更迭された時、「総理、私の大事な部下を辞めさせるのなら、私を先に罷免して下さい」と言えばリーダーとして、別の角度からも大きな支持、理解が高まったと思うが、今頃、批判的発言をしてもタイミングを失っている」といった声が私のもとに寄せられる。いろんな見方があると思うが、志のある人はしっかり自分の考えを主張して国民にわかり易い選択をする機会をつくって欲しいものである。
 『地域で子育て・・・生活塾「開講」ピンチ・「提案者の島田晴雄慶応大教授は「役所にヤル気がない」と不満をあらわにするが、具体化の目途はたっていない。島田氏は「厚労省は時間を稼げば小泉政権が終わると共に消滅すると思っているのではないかと指摘。早期実現を求めている」』(毎日新聞2面)と書かれているが、私はどっちもどっちという感じがする。提案者の島田教授も担当する厚労省もそれぞれ言い分があると思うが進んでないことは事実である。提案者には、提案者としての責任があり、その受け皿づくりをする厚労省もしっかり取り組まなくてはいけない。小泉首相の肝いりでスタートしたことは事実なので、両者協調して実現に向けて努力して欲しいものである。この1件を見ても、官の強さがかいま見えてくる。小泉首相が「官から民へ」と声高く訴えても中身は官主導であることに気がついて欲しいものである。官僚全てが悪いとは言わないが、大臣なり、しかるべき政治家が担当、督励しないと物事が進まない。外務官僚は平気でウソを言うし、人をおとしめる。政治家も官僚にふりまわされることのない様しっかり基礎体力をもって、事にあたって欲しい。外務官僚に足元をすくわれた私としては、今国会は外務省に絞って、情報の開示、情報の透明性に向けて努力していこう。
 昼、議員会館に出て仕事。TBSテレビのサンデージャポンの収録を受け、夕方の飛行機で千歳に向かう。19時から札幌で昭和58年以来、大変お世話になった新津哲宏さんが亡くなり弔問、前夜祭に参列。まだ64歳、足寄の先輩で何かにつけ、よく面倒を見てもらった方で世の無常を恨むものである。心からご冥福を祈ってやまない。

2006年5月4日(木)

鈴 木 宗 男

 朝から赤坂署の方が来て、昨夜の続きをしてくれる。警察の皆さんが国民の安全、安心に大きな役割を果たしていることを感じながら、治安について政治がもっと責任を果たさなくてはとつくづく思う。テレビ・新聞で報道され、沢山の人からお見舞いの電話を戴く。申し訳なく思いながら、大難が小難でよかったと言い聞かせるものである。  新宿アルタスタジオでの生放送だったが、終了後、昨夜の件で新聞社のインタビューを受けていると多くの人が集まって来て、「写真とらせて下さい」「握手して下さい」と沢山の人だかりになる。特に若い人が「頑張って下さい」と声を掛けて下さり、嬉しかった。
 14時過ぎに議員会館に入り、仕事。ゴールデンウィークの最中でもお客さんが来てくれる。有難い限りである。
 小泉首相はガーナのクフォー大統領との会談で、医療面でアフリカに貢献している医学研究者、医療従事者を対象にした「野口英世賞」を創設することを提案し、ノーベル賞にも劣らないものにしたいと強調したと出ている(産経新聞5面)。とても良い提案だと思う。野口博士が果たされた功績は今も燦然さんぜんとと輝き、評価されている。名誉や誇りを持って働く人を生み育てる上でも、この提案は画期的なことである。
 その一方で小泉首相は総裁選に触れ、安倍・福田氏の一本化不要と述べ、森前首相の動きを牽制(産経新聞1面トップ)と出ているが、権力の世界の様々な思惑が見えてくる。権力と縁のない立場にいると、人の動き、発言、メディアの論調等、今まで見えなかったものが見え、また、気がつかなかった面に気がついたりと、逆に冷静に分析できることもある。アンテナをしっかり立てて、今後の流れを見つめていこう。
 東京は夏を思わせる好天で、まさにゴールデンウィーク日和である。自然の恵みに感謝しながら、一日を送らせてもらう。

2006年5月3日(水)

鈴 木 宗 男

 小泉首相がアフリカを訪問しているが、エチオピア・アディスアベバでAU(アフリカ連合)本部で政策演説し、コナレAU委員長とも会談したのであるから、スーダンのダルフール紛争解決のため、日本としても一役買った方がよかったのではないか。エチオピアの近くでもあり、アフリカ連合がAU部隊約7000人を派遣し、資金不足の為国連部隊の派遣を要請している処でもあり、タイミング的にも日本の役割を示すべきではなかったか。「21世紀最初の大量虐殺が行われている」と、俳優のジョージ・クルーニーさんがワシントンで記者会見し、国際世論を喚起している。米国はゼーリック国務副長官を紛争解決の為交渉が行われているナイジェリアに派遣したと伝えられている。せっかくのチャンスを活かすことができない。この点でも、外務官僚に戦略・戦術があるのかと問いたい。
 同時に、政治家の中でアフリカに関してプレーヤーがいないと言えるのではないか。また、小泉首相を真剣に支えることが国益であると考える外務官僚がいないことを憂うるものである。小泉首相もアフリカに行く以上、万般(ばんぱん)に目を光らせ、ダルフールで起きている問題を自らの決断、判断で外務官僚を叱咤(しった)して欲しかったと思う。そうすることが今回のアフリカ訪問の意義をより高めることになったと考えると、つくづく残念である。
 憲法記念日、新憲法から59年。定着している平和憲法ではあるが、国会でも改憲議論が盛んである。私は議論することは意義があり、大切なことではあるが、何も急いで改憲するべきではないと考える。十分時間をかけて、国民の理解を得て進めていくべき問題である。拙速に「来年は60年の節目の年だから」といった価値観ではなく、あくまでも主権者である国民の理解を得ることが一番だという視点で、私は憲法を考えていきたい。
 午前中議員会館で仕事。13時半に横浜に向かい、家内の兄夫妻の娘、姪っ子の結婚披露宴に出席。久しぶりに親戚、兄弟が顔を合わせるが、33年ぶりという人も多く、月日の経つのは早いものである。幸せそうな新夫妻を見ながら「私どもも33年の歳月が経ったのか」と、人生を振り返るものである。
 人生山あり谷ありというが、色んなことがあるものだ。しかし私は正直に、信念を持って生きてきた。目的、目標を持って頑張ってきた。人生に挫折や失望した人に「鈴木宗男を見ろ。鈴木と比較したら、まだ俺たちはやっていける。生きる希望がある」と言わせられる様に、私は更に更に努力していく。負け組から立ち上がった者として、心ある多くの人の皆さんのお蔭で国政に復帰できた者として、夢や希望を与えられる存在として生きていこうといつも心している。

2006年5月2日(火)

鈴 木 宗 男

 在日米軍再編が外務・防衛担当閣僚2プラス2で合意されたことが今朝の新聞の一番の話題にになっている。沖縄の負担を軽くしたいと政府も努力してきた結果と思うが、少し時間がかかり過ぎたし、何よりも移転受け入れとなる自治体に十分な説明もなく、上からの押し付け的な姿・形になったことは、これからも理解を得るためには相当なエネルギーを要するだろう。
 再編日程を定めたロードマップ(行程表)を発表したが費用負担の割合、算定根拠など2プラス2でどんな話し合いがなされたのか、3兆円という金額はどうなったのか、国民にしっかりと説明して欲しい。平和を維持するために、安全のためにそれなりの負担は当然と考えるが、べらぼうなアメリカの言いなりの数字は御免こうむりたい。
 振り返れば、10年前橋本政権で合意した普天間返還だったが、私も一役かって県道104号線越米実射訓練を北海道に受け入れたものである。小渕総理は沖縄サミットを決定した。小渕総理が元気でいたならと思いながら政治の重みを感じざるをえない。最終合意をした以上、地元の理解を得る努力をしっかりやっていただきたい。結果を出すことが大事なのだから。
 朝日新聞、毎日新聞の朝刊で東京裁判の特集をしていたが、朝日の世論調査では東京裁判の内容を知らない人が70%に上り、20代では90%を占めると出ており驚く。60年の歳月を国民等しく振り返りながら歴史の教訓はきちんと語り継いでいかなくてはと思うものである。
 読売新聞夕刊1面トップに「黄砂大発生、汚染物質運んでくる」と大きな見出しになっている。東京でも雨が降った時、車の汚れは黄砂のせいと素人にも直ぐわかる。地球規模の環境問題としてしっかり対策を講じていかなければ心配するものである。小渕内閣の時取り組んだ中国での植林を更に進めていかなければと考える。
 一日議員会館で書類整理、連休の合間でもお客さんが5組程来てくれる。有り難く思いながら、鈴木事務所はいつも忙しく動いていると満足する。

2006年5月1日(月)

鈴 木 宗 男

 今朝の斜里町ウトロは小雨降る肌寒い日だったが、東京は28度の真夏日、わずか千キロの距離で20度の違いがある。この自然差を考えるとハンディを負っている地域があることを政治家は十分心しなくてはいけない。
 朝日新聞1面トップに、川の蛇行復活、釧路川直線化5億円、曲げ戻し10億円、湿地再生夏にも着手と出ている。河川を直線したのは専門家たる技術官僚の判断は何だったのかと思いながら税金の無駄遣いでなかったかと自問自答する。技術的問題に政治家は口出しすべきでないというのが、私の考えだったが一寸、考え直さないといけないと、頭の切り替えをしなくてはならない。
 水俣病は今日、公式確認から50年を迎え、慰霊式が行われる「首相来ぬまま50年、被害者現地で謝罪を」(朝日新聞夕刊1面トップ)という記事に心が痛む。米海兵隊はじめ米軍の移設に3兆円もかけるなら、まだやるべき事がある。水俣病はその大きな一つでないかと思いながら、政治があったかどうか、私自身政治の場に身を置くものとして何ともいえぬ申し訳なさが去来する。私なりに被害者の皆さんの目線に立って成すべき事を考えていこう。
 18時から政治評論家、社会評論家、外交専門家と会食。日本のあるべき姿、現状の日本外交等約4時間に亘り意見交換、専門家の極めて奥深い指摘に大いに勉強になった。
 谷垣財務相が9月の自民党総裁選に出馬意欲と出ている。志あることはよいことだと、谷垣氏の発言を評価しながらしっかりアピールするところはして欲しいと願う。外交問題でいうなら安部官房長官は北朝鮮強硬論で名を売り、今福田康夫氏は中国重視のスタンス、麻生外相はアメリカとの提携を重視している。ここは谷垣財務相はロシアの関係重視を訴えたなら4人の考えが、ハッキリして国民もわかり易いのではないか。25日衆議院の決算行政監視委員会で谷垣財務相に会ったときも「大臣、ロシアを打ち出した方がいいですよ」と言ったものだが、是非とも谷垣構想を明確にして欲しいものである。


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